|
SILVERさん、こんにちは。
子どもだったら、まず子どもの気持ちを汲み取ってやり、「嫌だったね」「よかったね」と言ってから、諭したりすることってありませんか?
大人の場合も同様かな?と思ってます。
「大変でしたね」「よかったですね」という言葉は気持ちを汲み取る言葉であり、その人の気持ちを尊重しますよ、という意思表示の意味もあるように思います。
それで、相手の人気持ちがほぐれ、意見されても素直に受け入れやすくなるのではないでしょうか。
ただ「あなたを理解してます」という意味だけだと捉えると、「なんで少ししか知らない私のことがあなたにわかるわけ?」という気持ちになってしまうのかもしれませんね。
相手の人にどこまで意見するか、というのは、またちょっと別の話のような気がします。
「子どもだから」許されるのは、まだ価値観や考えが未完成で自己責任がないからではないでしょうか?
大人は子どもに意見できる立場なんですよね。
その分、「子どもだから」と許される部分も大きいですね。
成人の支援って、専門家でない限り難しい面があるなあ、と個人的には考えています。
私の場合、友人=対等な関係にある、と考えていますし、そういう意味ではこういう掲示板でも同様に対等な関係と考えてます。(専門家のかたや管理人さんはまた少し立場が違うとは思いますが)
支援と考えるから、「その人のためなのか?」を考えるのではないでしょうか?
「支援」「その人のため」「教えてあげたい」と考えていると、対等だったはずの友人関係がいつのまにか対等でなくなり、相手の人がそれに気がついたときに、受け入れにくい気持ちになっていく場合もあるかもしれません。
相手の人が「この人は、教えてくれる人だ、教えてもらいたい」と考えている人ならいいと思いますが、そういうタイプの人ばかりとは限りませんよね。
SILVERさんの場合、成人の場合教えてあげる人がいないから教えてあげようと考えられるのでしょうし、相手が受け入れられる人だったらもちろん構わないと思います。
ただ、受け入れられない人の気持ちを動かすのって、理解できない人に理解しろというのと同じくらい難しいことのように思います。
誰の意見であっても自分に有益な意見かどうか的確に判断して耳を傾けられるようになることが理想なんでしょうが、なかなか難しいですね〜。
アドバイスがどんなに的確であっても、相手の人が受け入れられないのはしかたのないこと、という考えなので、私の場合、もう「この人はこういう意見は受け入れられない人なんだ」と察知した時点でそれ以上意見するのは避けます。
その分、相手の人が周囲からは冷たい仕打ちを受けたり、いろいろマイナスもあるかもしれないわけですが、それは大人の場合は自己責任なのでしかたのないことなのではと思ってます。
なんだか、まとまりのない文章になってしまいました。
わかりにくかったら、すみません。
|
|