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ジンさん、こんにちは。
当事者のカノンと申します。
> 「小さいころは確かに君は自閉症だった、しかし、自閉症は大きくなれば個性に変わる」といわれました。どういうことでしょうか?
私なら、医師に直接、真意をお尋ねすると思います。
何故なら、発達障害の人は良くも悪くも ユニークな発想を持っているようなので、相手の伝えたい言葉の意味を違って取ることも無いとは言い切れないと考えるからです。
それに、自分が解らない事を聞き直すというのも、コミュニケーション能力として大切な要素ではないかと、私は思いますが 如何でしょうか?
私自身、幼い頃は自閉傾向が強く、周囲の人には耳が聞こえないように思われていたこともあったようですが、今はよくしゃべります。
ただ独特な認知は発達障害の特性で変わりようもなく、それを今では個性として受け入れており、生活面では楽しくも有り、また不都合なこともあります。
> 失われた信頼は自閉症を理解してもらうことで時間をかけてでも取り返すことは出来るのでしょうか?
この点に関しまして、私個人の考え方なので恐縮ですが、
極端な言い方をしてしまえば、「障がい者なので」と相手に理解を求める姿は、ASの人が一般の人の考え方を充分には理解できないというのに、相手には一方的に理解を求めるという行為について、何か不公平感はないのだろうか?と考えてしまいます。
相手の方がジンさんに興味を持たれて、理解したい・仲良くなりたいと思っている場合には有効かもしれませんが、人間関係の構築を始める段階や お話にあるように 信頼関係が失われた場合、「障碍」を前面に出されることは、
自分の考えている改善よりも、むしろ関係が難しくなる場合も有り得るという認識を持った上で、どの様な選択をされるのかを、お考えになる必要性があるように、私には感じてしまいます。
こんな趣旨の言葉が有ります。
人間関係を築くには、双方の歩み寄りが必要だけれど、
関係を終わらせるには、片方のみの判断でのみ成立する。
これは障碍有り無しに関係がない 法則のように思えます。
以前の書き込みを読ませて頂いて、未だ関係の再構築を望まれているのかともお察ししますが、定型発達であれ、そうでなかれ、終わりを認識して乗り越える試練は、ジンさん一人の問題や経験ではないように思います。
以下は一般的な話です
引用することが見当違いで、私の思い込みでしたら申し訳ありません。
特に男性および男性的な考え方をする人に置いては、やさしくしてくれた = 自分に行為を持っている と 解釈することは、よく見受けられるように思いますが、自分が相手を好きなのか もしくは 優しくしてくれる相手だから好きになったのかは、似ていて非なるもののように、私は思っていますが、ジンさんの場合はどうだったのでしょうか?
相手の幸せを願うのも、一つの思いやりであり愛情表現だと、私も思いますが、理解して頂けそうですか?
何故?その結果に結びついてしまったのか、もう一度、ご自分の行動をしっかりと再検証して、次の出会いに生かせることを願っています。
失敗は成功のもと。
数多くの失敗を通して、落ち込むよりも、より人間的な魅力を磨くための経験だったと受け入れられる日が来ることを、お祈りしています。
私も数多くの出会いと別れを経験してきましたが、それは今の主人に出会うためだったと、今でも信じています。
長くなって、ごめんなさい。
出来れば、どなたか教えてください と 書き込みをされる前に、自分のお考えをまとめてからお伝え頂く事は、ジンさんを更に成長させてくれるかとも思いますが、如何でしょうか?
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