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羽入さん
はじめまして!
一応定型の範疇にいると、自分では思っている47歳ですが、傾向としては片づけが苦手などのADHD的な要素が自分の中にあるな〜と感じています。
どうぞ宜しくお願いします。
4人の子どもの母親です。
>面接の段階で就職試験に落ちました。
>こうした評価が一生ついて回るなら、死ぬしかないような気がします…。
>落ち着かないです。
>個人的には、いま、文章の技巧を磨きたいという気持ちが強いので文学部に行きたいのです。
羽入さんは、発達障碍という診断は受けておられないようですね。(他の方のレスで書いておられたとしたらよく、読んでなくてごめんなさい)
他の方々に書き込まれておられる文章を、はらはらしながら読ませていただいています。ずいぶん、否定的で、挑戦的なような感じがしました。
かなり、自暴自棄になっているような印象がしています。
きっと、私のこどもがもうすぐ20歳ですから、そうたいして年齢が違わないのでしょう。まさに自分探しの真っ最中ですね。いろいろもがき苦しむことが大切だと思います。
>大学院に行くのと、とりあえず企業に就職するのと、長い目で見たときどちらが良いのですか?
>またこのような邪な動機、そのまま書くわけにも行かず、どう繕えば良いのか、短所しかない自分をどう良く見せたら良いのか、全く分からないし不安です。
>親はテクニックだと言いますが、本当に分からないんです。
今までの書き込みでは
あまやかさないで切り捨てれたほうが本人のため
社会では受け容れられない
という内容を書いておられましたね。羽入さん自身が実際の生活の中で感じておられることだと受け止めさせていただきました。
特に、高機能自閉症とよばれる方達は、知的レベルや言語レベルに問題がなく、コミュニケーションも取れる場合があるので、障碍が表面にみえてこないため、それこそ「ASです」というカミングアウトによって、周囲の人たちに理解を得ることがとてもむずかしいのだと思います。
ではどうすればいいか?というと
答えはいつも自分の中にある!
私はそう信じています。
自分の人生ですから、自分自身の力で生きていくことが大事です。
18歳までは、親のせい、学校のせい、友だちのせいにしても許されますが、それ以上の年齢になったら、自分のことを自分で考えて、周囲の人たちとうまく折り合いをつけながら生きていくことが求められてきます。
>弟の進路が決まって楽しそうにしているため、ものすごく腹が立ちます。
>そこでわたしが色々と八つ当りして言っていると、聞いている親は腹を立ててしまいます。
やつあたりしないで、「いいな〜。うらやましくてしかたないよー!」という本当の羽入さんの素直な気持ちを伝えるように努力してみませんか?
>寮でも、隣の部屋の人が就職も決まり、婚約者のような人もできたと言って楽しそうにしていて、わたしとは大違いだと思い憎しみが湧いてきます。
>就職試験に落ちてから、ブログの友達も二人も減りました。
>わたしには何の魅力もない、と医者が言いましたが、多分その通りなんでしょう。
自分に魅力がある!と言える人は相当なナルシストさんだと思います。ゆがんだ自己愛に片足を突っ込んでいるように見えて、私はなかよしになりたいとは思いません。一方で、「私なんかだめだ」と自分を必要以上に卑下する方も実は違う意味で「私を見て!」という気持ちの裏返しなんじゃないかな?と思わせられるのです。
この偏差値偏重の社会で、数字で人間の価値を計り、順位やランクづけをすることに慣れてしまった私たちは、自分の幸せも、誰かと比べて上か下かという評価をしてしまいがちです。
私自身は、本当に手に入れたいものは、誰かと笑顔を交わし合って、愛し合い、喜んで日々を生きていくことじゃないかな?と思っています。
厳しい言葉で叱咤激励することも大事かもしれませんが、「よーし!がんばろう。」あるいは「ちょっと頑張ってみようかな?」という自分の中にわき上がってくるような「やる気」を自分が感じた瞬間をよく思い出してみると、やっぱり、自分自身で自分の気持ちときっちりむかいあい、自分でこうしよう!と考えられるような場所と時間、そして、自分のつらい気持ちにそっとよりそってくれた誰かの気持ちが私を支え、力をあたえてくれてきたと思うので、私もそういう風に誰かを支えられたらいいなぁ〜。と思います。
羽入さんが、自分の生き方をしっかり見つけられますように応援しています。
アドバイスにはなりませんでしたね。ごめんなさい!!
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