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▼スモハンさん:
いえ、私も気が向いたとき(=暇な時)しか書き込みしない
人なので、どうかお気になさらないで下さい。レスがいただけた
だけでも大変うれしく思っております。
あ、私も学府や教育機関で勉強などしてはおりませんから、
決して深遠な追求などはできません。むしろ、スモハンさんの
負担になるようならすぐ止めますし、私の話しもあまり真向
から受けないでくださいね。
それに、哲学は本当は自分の分野ではありません。どっちか
と言うと(今回は)心理学に則した見解と思っていただければ
幸いです。
> 正常異常の話は、このスレを立てた時、掲示板であまり …(略)
はい、私も無論存じあげた上での事です。もっとも、その件は
既に一応収束していますから…私は触れません。誰も喜びません
から。例え無意識に言及しちゃっても、救われる人、誰も居ない
ですから、この場合(全く居ないわけでもないんでしょうが…)。
> 「正常だから素晴らしい」の発想は、「素晴らしいから素晴らしい」しか言っていません。「正常」は、その人が価値が高いと思っただけであり…(略)
> さらに、「努力したからその結果があるんですね、素晴らしい」も、「素晴らしいから素晴らしい」になっていることがあります。「努力」に価値があり、それがあったから価値があると言っているわけです。
基本的には間違ってないと思いますが、この点は、私は少々
危惧を憶えたので敢えて忠言いたします。
スモハンさんのおっしゃる事例は大変解かり易く把握も
容易ですが、この分析手法では結果的に“言葉尻をとっている”
かのような誤解が生じるでしょう(そのつもりは…無いことと
拝察しますが)。
人の言葉(自然言語)がコンピューターのそれ
(プログラム言語)と大きく異なるのは、“ニュアンス”
(感覚表現、または曖昧な表現)に他なりません。その点で、
「努力したからその結果があるんですね、素晴らしい」の
表現の読解は一通りに限らない事になります。
かつ、同時にこの点は以下に言及する“言葉の存在意義”
に大きく関わります。
> 言葉に意味があるのではなく、意味を言葉で表している。それが真実ですので、言葉に惑わされてはいけません。
はい、言葉は“存在”よりも後から生まれるのが元々の
カタチです。スモハンさんの仰る通り「言葉に意味があるのでは
なく、意味を言葉で表している。」ことこそ“言葉”というもの
の存在意義。
何しろ、人間を人間たらしめているのは何より「言葉」が
大きいですから。頭の中でモノを考えるとき、人は必ず「言葉」
でなくてはなりません。それは、日本人なら日本語、イギリス人
なら英語である訳で、その言葉がつむぎ出されるまでに脳でなさ
れる処理は機械で言えば大変なものです。
同時に、人間が言葉によって表すのは必ずしも現実に存在する
ものであるとは限りません。「社会」・「国家」・「経済」
「魂」…つまり、存在自体は否定できなくとも物理的に特定する
ことの困難な、すなわち“概念”もまた人間は言葉によって
認識することも重要な要素です。極論するなら、人間は「幻」を
認識する生き物です。
この場合はむしろ、「幻の有無」を言及するのではなく
「幻でも認識することの有効性」を考慮すべきと存じます。
一定の効果がある、つまり、例えば「経済」という括りを
して科学的分析・思考を行なう、その有効性です。
> 私の意図は、少し異なります。
> たとえ社会的に認められるものであったとしても、全く同様に、「あたかも正当性があるかのように偽った」です。
> 当たり前ですが、正常とされる人間(健常者)は、神が生み出したわけでもなく、生物はここに行き着くように進化したわけでもありません。たまたま、そういう奴がいただけです。そのたまたまに対して、やたらと理由・意味を付けたがるのが、「あたかも正当性があるかのように偽った」になります。
なるほど、了解しました。
この点は、…まぁ哲学の分野に関係してくる議題ですね。
実は、
> …、正常とされる人間(健常者)は、神が生み出したわけでもなく、生物はここに行き着くように進化したわけでもありません。
この点に関しては科学的にも諸説異論があります。
私自身の意見をあえて言うと…「ナンセンス(無意味)」
ですね。何しろ…この辺はね、生物学や哲学のみならず
物理学でも話題になる事ですから。興味があるなら
「人間原理宇宙論」とかで検索してみてください。
ま、この手の命題を議論するなら、その“議論”という
行為にこそ意味がある…と思ってます。楽しいならそれで
良いんですが、他人を傷つけるようなら即刻止めるべき。
いずれにしても、共通概念としての確立は難しいで
しょう。
従って、「たまたまに対する理由付け」が本質的には
無意味である…点は私も同意見です。ただ、全てを否定
してしまうと…立つ瀬の無くなる人もあるでしょう。
誰かが喜ぶなら、わざと意味付けしてあげる事も有効な
場合があります(心理療法の一つですが)。ここで気を
つけなくてはならないのは、同時に「傷つける武器にも
なる」点。サモハンさんはこの点を危惧していらっしゃ
るのではないですか?
心理学では、この“意味付け”のことを「コンプレックス」
と呼びます(正確に言うと無意識下での関連付け・関連性。
あえて言及するのは、他人から受けた意見・見解が心理下で
そうした関連性を生む事があるから。ま、言葉ってそういう
もんでしょう)。
日本では“劣等感”と云う誤訳が一般的ですが、本来の意味は
より広い定義です。
従って、全てが「偽り」とは言えない事があると提言いたし
ます。ええ、サモハンさんのおっしゃる通り、本来は根拠と
しては薄弱であろう概念を差別の理由にするなどは以ての外。
けれど、実は良く調べてみると「差別」の根などは単に人が
思うよりも根深いのです。それは、人間の“認知”という
メカニズムが関わっているからです(記憶のデータベースと
照合してパターン分けを行なう…詳しくは、「紋切り型」とか
「ステレオタイプ」のメカニズムです)。
ですので、「偽り」であることよりも「有効」か「有害」か
を判断基準にした方が“人”の役に立つ…と私は思いますよ。
>>「価値」とは客観的事実である必要があるのに対し、
>>「価値観」は主体によってのみ意味をなす事は大変
>>重要な要素でしょう。
> これはちょっと、私の読解力の問題かもしれないですが……「価値」は客観的には存在しません。
この点は私の方が謝らねばなりません。いえ、「価値」と
言う言葉の定義が足りておりませんでした。私はこの言葉を
“ある限定した時間・空間において一定として観測される
普遍的な値”として使ってました(^^;)。「質量」とか、
「値段」みたいにね。…そうですね、元々の意味としては
サモハンさんの用法の方が正しいようです(辞書で調べたら
普遍妥当性を表現する方が一般的らしいので…そうか、私の
表現は経済学的なモノだったか)。
ただ、客観的また普遍的な定義なくしては「科学」は
有り得ない、と言う事を著わしたかったとご理解くださ
い。
従って「普遍的な値」に対する価値観の差異は、サモハン
さんのご意見とは別次元の問題と了解しました。
以上の点を踏まえ、
> 私が言っていた、価値の上下に惑わされてはならない、というのは、人によって価値観が違うということではないんです。価値という概念が、まやかしであるということです。
はい。しかしながら、人間は何らかの価値に拠る事で
「助けられる」事があることもまた否定してはなります
まい(鬱病のと接したりしてそう感じました)。
先に述べた通り(認知心理学に基づく差別のメカニズム)、
人間が何らかの“価値”を感じ、求めるのは自然な作用で
あるからです。
したがって、検証すべきはその論じられる根拠たる
「価値」が、他者と自己の関係において潤滑たるのか
軋轢たるのか、という点かと存じます。願わくば、
各人がシンプルにその点を自己反省し、行動へと
反映すれば良いのではないでしょうか。…その場合、
“判断基準”が問題なんですけどね。再帰的な結論に
到ってしまいますが。人間である限り不可避な問題
かも知れませんが、しかしそうした意識を持つ事は
「克服」への第一歩となるやも知れませんね。
どうでしょう?少しでも会話の噛み違いを矯正でき
てたらよいのですが w。
あと、別のスレ([#2104]:マキナさん)からの情報です
が、「健常者」って表現は止めませんか? 私自身も
これまで便宜的に使ってきましたが、前々から違和感を
感じていました。「定型発達」と表記した方が適確な表現に
感じます。
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