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▼POLINECIAさん:
スレッドが移ったようですが、POLINECIAさんのメールアドレスも存じませんし、僕の投稿の締めとしてここに返信します。
>1.対話形式
>
>しかし、だからこそ、
>支援者,保護者などの非専門家批判
>(専門家ではない者が好き勝手に語っている)
>に付き合って、「自分にはこういう経歴や肩書きがある」
>と強調する必要はないとも思うのですよ。
>むしろ相手の世界の価値観(専門家主義)に巻き込まれてしまい、
>本来の当事者の語りの意義が失われてしまうのではないか、と。
ご意見ありがとうございます。
僕が自分の経歴を語ることで他の当事者の方が発言しにくくなってしまうことがあるかもしれないですけど、僕自信はは専門家主義に巻き込まれることはないと思います。何故なら僕には専門家と同列に考えられない要素も多く、例え専門家の肩書きを持ったところで当事者としてのスタンスは失われないからです。
例えば僕は本があまり読めないので、言っていることのほとんどは僕が自分で考えついたオリジナルの内容です。他の多くの専門家と違って中学もまともに行っていないし高校へも行っていません。確かに現在ならLDの生徒向けの大学プログラムも海外にありますから、そういうところで勉強して普通に専門家を目指す道もあるかもしれません。でも僕はあえてそういうことをしようと思わないのです。
それは何故かといったら、自分自身で自閉症本来の特性を体現するためです。アナログ思考の自閉症は、本来なら文字や言葉から学問を修得するのではなく、自分の体験から自然現象や社会現象のしくみを習得する方が得意なのです。小さな子供が落下という現象自体を重力加速度やニュートンのリンゴの話を聞く以前に理解するように、自閉症の人は実際の現象から学ぶ方が得意なのです。普通の人は学校へ行って専門的なことを勉強しなければ学問は分かるようにはならないと思っているようですが、自閉症者にとってはむしろ何でも言葉で教えようとするから分からなくなるのです。それをみんなに分かってもらうために、僕はあえて専門家の資格や肩書きを得るために言葉を使って物事を理解しようと思わないのです。
そしてそれは、資格や肩書きを見るとすぐに信じてしまい、その言説の中身を自分で疑ってみようとしない人達に対する啓発でもあります。裸の王様の透明な権威の衣を信じ、自分の目で目の前のことを見ようとしない、または自分の心の中の声を聞こうとしない人達に対する一声です。これはもしかしたらPOLINECIAさんの仰る専門家主義や権威主義に対する批判にもなるかもしれません。その際声を上げるのは、同じような権威の衣を着ている人達ではなく無垢な少年の方が効果があるからです。(僕は少年といえるような歳ではありませんが。)
>2.Ryuさんの持論について
>しかし、当事者自身が自らそれを信仰してしまう事態は
>あまり好ましいものではないかもしれないと考えてございます。
>(どうやら、Ryuさんは信仰しておられないようですね。)
>能力・役に立つ・適応できているといった価値観
>に当事者が囚われすぎないようになることも、
>一つの課題とは言えるでしょう。
社会的な価値観に当事者が囚われすぎないように、というのはごもっともだと思います。僕は自閉症者全てが社会的に認められるような能力があるとは思っていませんが、人間としての能力ならば皆が同じように持っていると思います。自閉症者でも普通の人でも、社会的に認められる能力を発揮できるのは、分布曲線状でデジタルとアナログの特性がほどよくバランスの取れた一握りの人達だと思います。しかしそれは時代によって診断基準が移り変わるように、社会で求められる能力もいつも同じとは限らないので、何をもって社会的能力というのかを考える必要もありますね。
>ご健闘を祈ります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
それからもう一つ最後に見ている方に言っておきますが、この投稿の最初のテーマである'It is not a disease, it is a way of life'という主張は、別に当事者文化の中だけで言われていることでもなく、明言している専門家の方も沢山います。
例えばこのオーストラリアの精神科医も有名な方ですが、トップページの右側でアスペルガー症候群は障害ではなく違いだとはっきり言っています。
http://www.tonyattwood.com.au/index.html
要は、特性を障害と受け取ってしまうか違いと受け取るかはその人と関わるそれぞれの人の捉え方によるのです。
Ryu
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