|
▼Lianeさん:
>『診断は決して「免罪符」ではありません。
>自分が変わらないと、決して周りは変わりません。』
>という意見をいう人が多くいます。
>私はハッキリそれは間違っていると思います。
はじめまして。わるなすび です。
いぬかいさんの意見に付け足しです。(私はいぬかいさんとこの掲示板で同じ考えが多い)
私も場合によりけり。そして使い方によりけりだと思います。
>免罪符になかなかならないのは「本当にわからないの?本当にそうなの?」
>という疑惑をクリアできず、感情的な問題からなのです。
重々承知。
>目の見えない人がヨロヨロ歩くのは障害だから許されるのです。
>私たちが私たちAS文化流で行動しても許されなければなりません。
お願いしてもいいですか?この文章をもう一度推敲して書いていただきたいんですが・・。
視覚に障害を持っている方々が聞いたら傷つくと思うんです。
>白い杖でもワッペンでも貼って下さい。
>障害である以上、許されるべきです。
>誰も否定できない正論であるはずです。
これが正論だとしても、正論がまかり通るほどに今の世の中 熟してない(理解が進んでない)からみんな悩むんですよね。
だから「理解して欲しい」・・
白い杖や、ワッペンを貼ったとして、何が変わると思いますか?
周りの人が理解してくれる?理解する努力をしてくれる?
それもあると思います。しかし、
それは「みんなが」という訳にはいかないんです。
息子がAS診断を受けて「居宅援助サービス利用書」なる手帳をもらいました。
これがあなたの言うところの「ワッペン」にあたります。
保育園に入る、学校に進学する、等いろんな場面で 提示 していかなくてはなりません。
その結果、理解してくれる方 と そうでない方 に分かれます。
(普通の)人間に万能を求めては危険です。それが良く分かりました。
例えば、ある集団でこの「ワッペン」を付けたなら。
「そういう人なのね。」と認めてくれる人は「人徳のある人」(あくまで私なりの言い方ですが)
「やべぇ感じがするから関わらないようにしよう」と認めてくれない人
がいるのです。(何人もいた。学校でも職場でも)
表面的ないじめはなくなるでしょう。表面的には「付き合う」でしょう。しかし、
(無意識に)距離ができるのも事実です。
いじめる意識があっての「無視」・・許せません
いじめる意識が無い「無視」・・やるせません。
関わらないようにされることの辛さ・・考えてからワッペンつけたいです。
世の中みんなが理解できるようになってほしいです。
(私ってポリネシアさん的??)
|
|