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▼Cyperusさん:
質問にお答えいただいたみなさんありがとうございました…
ミーティングのほうも、先ほど終わったところです。
話し合いで出たことも踏まえて、これらの質問に対する僕なりの答えをまとめてみようかと思います。
>(1)『友達』と『仲間』ってどう違うんだろう?
今日出てきたことでは、『仲間』というのは、同じ体験を共有したもの同士…そうして『友達』というのは、その体験の部分を越えて、より深い部分への付き合いができるようになった状況をさすのではという感じになりました。
でも、友達という言葉は、特に学校現場では、『教室』という現場にいる子供全体というニュアンスで使われている場合が多く、その場合はどうしても『個々を大切にしている』という本来の意味からずれてしまい、それがいじめを受けた人が、この言葉に関して強い抵抗感をもつ原因でしょうし、また「仲間だから〜してくれるよな」というような脅しとか依存も生じている面もあるでしょう。
友達・仲間どちらも、『真心』というか『相手の気持ちを汲み取る』ということがあって、初めて円滑に動いていけるものなのかなという気がします。
>(2)『助け合い』というのはいろいろあるのだけど、誰でも直ぐできそうなことって、どんなものかな?
一口に『助け合い』といっても、いろいろとスタイルがあります。
でも募金とか寄付とかは、やはり経済的に豊かではなくてはやれないし、教えていく・介助するということも、自らがある程度学ばなければできないことでしょう。
となると、やはり一番誰にでもできて、根幹的な助け合いの一翼となれば、『相手の話をただ聴いて、気持ちを受け止めてあげる』ということのような気がします。
まあここの掲示板も含めて、僕自身の実践率というのは、低いのですけれど…
>(3)『思いやり』と『お節介』の違いはなんだろう?
例えば、子供に食事をさせるとき…
食べられそうな分量をお皿に盛り付けしてあげるのが、思いやり。
いっぱい無造作に盛り付けたお皿を並べて、「おおきくなりたいなら、たべなさい!」というのが、おせっかい。
ようは、『相手の気持ちを汲んであげている』かどうかの違いというような気がします。
>(4)『カウンセリング』は具体的にいうと何をする(していく)ことなのかな?
恐らくは…『相手の考えを受け止めた上で、自らの考えを加味して、互いの理解を深めていく対話術』ということなのかなという感じがします。
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