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(2)助け合いということに関して…
>『また、個人的に出来る、手っ取り早い助け合いについては、沢山ありますよー。
地球環境に優しくなる(ゴミを減らす、分別をしっかりする。二酸化炭素の排出を減らすとか諸々・・・)
今朝、テレビで、オーストラリアの一部が砂漠化?のようになって、穀物が育たなくなってしまったようです。
これからは、1人1人の節制(心がけ)が、地球を救う、変えて行くのだと思います。』(温室さん)
そうこのへんの環境保護というのも、人類を含めて全ての生き物のゆりかごを守るために、個々人ができる範囲でやっていかなくてはならないし、またマナーやルールを守るというのも、やはり広義的に見れば、助け合いの部類に入ってくるのかなという感じがします。平和について互いに理解を深めて、争いごとを起こさないというのもそうなのかなという気がします。
助け合う?
うーん、助け合う関係というと、お互いが同等の立場にあるといことですね。
私の中での助け合うということは、仕事の仲間で互いに助け合っていく(フォローしあう)という感じかしら?
また、自分が助けてもらったように、今度は違う人にも同じように助けの手をさしのべていく・・というのも助け合いかな?と思いました。
3番目の息子を出産したとき、上2人の幼稚園のお弁当を娘の友だちのお母さんが作ってくれて、とても助かりました。この時の経験で、同じように誰かが困っていたら、喜んで助けの手をさしのべるようにしています。(じゅんこ さん)
ここを読んで思ったのは…助け合いというものは、ある意味、円滑な人間関係の構築・仕事や苦境を乗り切るためのエネルギーを緩和する触媒のようなものなのかなということでした。
昨今は、利益性とか効率性の優先それと過剰なプライバシー保護のため、最低限の助け合いの『対話』あるいは『傾聴』ということですら、うとまれてしまっている感じがします。残念なことに、僕自身も『聴いてあげてない』ということの加害者なのかもしれないです。
そのせいか…最近、親子での殺し合いやいろいろなことで煮詰まっての自殺、うつに陥る様々な業界の人たち・育児ノイローゼ・いじめetc.など、コミュニケーション不足から来る問題がNEWSになることが多いんだという気がします。
まず、お互いの話を聴き合うというのも、助け合いでは?
あとは、「場」を設定し、ある程度の期間それを維持するためには
人手も手間もかかります。
そのために、何をどう進行するか、役割分担を書き出して割り振ることも
「みんなのため」になるから『助け合い』とも言えますね。(めえめえ さん)
とりあえず今の3人の中で助けたり助けられたりする経験の
積み重ねが信頼を生み、ピアサポートの実践になっていくように思います。
(penpen さん)
僕がピア活動というものについて関心をもったのは、やはりボランティア時代・障害者職業訓練センターの訓練生の時期、そうして現在の小規模作業所と8年間、障がいを持っている人と向き合って、いろいろ苦難もありましたが、むしろ元気をもらったほうが多く、それに対して『じゃ〜自分は何をしてあげられるのかなぁ?』と思い始めたのがきっかけでした…
最初のうちは、『指導員にでもなろうか…』ということも思いましたが、いろいろと資格を取らないといけないようですし、また易疲労性と不器用という短所を持った自分には激務であまりにも太刀打ちできそうにないのです。
そうしてしぼんでいたときに、3人のうちの一人から、『ここらへんの精神障がい者の人たちの中に、ピア活動をやりたいということがあって、○○大学の先生も協力してくれるんだけど…++さんも一緒にやってみようよ』というふうな誘いを受けたのでした。
仲間ですが昨日のミーティングで、増殖して5〜6人となりそうです。どんどん知恵を出し合って、有意義な活動を創りだしていきたいです。
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