|
特別支援学校の教師です。何人かの女性教諭が、重度の知的障害を抱える子どもたちの(多動児に限る)手を無理やり引っ張って掃除をさせたり、身の回りのことを自分でできるようにと、同じく無理やり引っ張って仕事をさせる現場に出会い、たいへんショックを受けています。
彼女らが言うには、「自分のことは自分でさせなくては」という願いがあるらしいのですが、高校生になっても、排泄自立がない、言語がない等の障害を抱える「多動児」が、毎日手を引っ張られて大きな声でしかられることは、彼らにとって大きなストレスになるのではないかと、様子を見ながらいつも悩んでいます。
この4月には、そういう職員のいじめに合い、一事休職をしてしまいました。
なかには、子どもの主体性を待つ教師もいます。私もその一人ですが、ただ、そういう人は、「甘い」と、とらえられてしまうのです。
自分自身も、子供の頃、多動児であり、未だに生活習慣は、子ども以下です。わが子もASで多動。生活習慣の確立というのは、並大抵のことではありません。
そういう障害のつらさ、二次的に引き起こされる不適応を知らないまま、体罰とも思えるようなことをして、堂々と生きている教師たちが一杯あふれていることに嘆いていました。
しかし、時を重ねるにつれて、そうしないと自分が仲間はずれにされ、4月の悪夢を再び見ることになるのではないかという恐れから、今はとにかく流されるまま生きています。
多動でない子は、そういう被害にはあっていませんが、多動であるがゆえに招く悲劇だと思っています。しかし、この学校では、私にはどうすることもできません。自分のみを守ることが精一杯です。
|
|