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私もASの診断を受けて、長い時間経ちますが、たまに私はASではないのではないか?と思うことはありますね。
変な箇所はたくさんあるとは思いますが、障害というほど障害でもなく、
無難に暮らせているといえば暮らせているのではと。
クロムさんは非常にASに関する知識をお持ちなんですね!
私はASとは何かよく知らないままに診断を受けたものでして、未だ勉強不足を感じます。
以下の様な知識はどこで手に入れなさったのでしょうか!?
>一般に「組合せ」や「理解」「絵画配列」が低いといわれているASの傾向とは矛盾します。
私は絵画配列が極端に低かったのですが、どうして低いのか、低いと何が問題なのか、いまいちつかめていません。
細かいエピソードを読み取るのが苦手だね、と医者に言われましても、どうしたらよいものか。
クロムさんが、診断を気にするお気持ちわかる気がします。
最初の診断結果で信じがたいASとついたことは衝撃だったことでしょう。
そして最初の診断にこだわっていたところで思っていたところでADDの診断で、
検査の結果を気にするのも、自分がどの立ち位置におられるのか、
読み取りたいとお思いだからではと思ってしまいました。
また、単なるなまけものでいたくないという思いも。
私も、ASであると診断されたとき、その根拠を探そうと必死になったものです。
検査の結果もずーーっと見ていました。
私は一人の専門医にしか診てもらっていませんが、もしまた違う方に診ていただいて、ASではありませんよと言われたら、混乱すると同時に安心するかと思います。
もう障害でもなんでもいいよ、私は私、というアイデンティティが確立したこともあるかもしれません。
根拠はなくとも安心できる、ということもあり得るかと思います。
逆に根拠がなくて不安になるというのは、なぜなのでしょう。
貴方にはご自分で社会生活がだめと根拠を述べられているではありませんか?
もしそれが根拠で無いと思うのなら、これでもかというくらい社会生活を良くする努力をしてみて、
それでもダメだったら、社会生活がだめということが根拠になり得るのではと思います。
免罪符に使いたいのではないかということですが、それを受け入れてくれる人がいると思いますか?
ASだから、しかたない、それは、ご自分だけの免罪符ですよね。
でしたらそれは、ASと診断された人、少なくともここに一人、私もそのように思ってしまう人がいますよ。
私も、今周りにそのことを言って、私は喋ることをめんどくさがっているのではないんだ、うまく説明できない人間なんだとこの際認めてもらおうかとも思います。
しかし、本当にそうなのか?ただのだめ人間なのではないか?という思いがあるからです。
ASと診断された方なら、ちょっと休みたいと思ったとき、言い訳にすることが頭をよぎることもあるかもしれません。
問題は、極端に言うと免罪符をもらうために診断を受けたのか?ということになります。
どの医者も検査だけを根拠にすることはできませんよね。
本人の自覚や困っている点を聞き、診察での様子で総合的に判断する。
血液検査の様に、ババーーーンと出ないだけにむずがゆいものもあります。
血は考えませんが、脳は考えますから。
さておき、犬に興味ということ、私も同じです!!
犬バカとばかにされてはいますが、好きなものは好きなんですよね。隠れて犬の本読んでます。
しかし犬アレルギーとは本当に残念ですね・・・。
私は猫も好きですが、猫のアレルギーですので・・・サヨナラ。
外で運動することは心身の健康に良いですよね。
自転車に乗ってどこまでも。きっと新しいことが見つかります。
非常に長文になってしまったようで、また固い文章ですみません。
少しでも何かの参考になれば幸いです。
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