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▼明子さん、ご回答有難うございます。
>多分、大抵の場合、笑っている人は面白いから笑っているのでは?と思います。
>人に合わせるために笑ってるのではなく、笑いのツボがたまたま同じだから、みんなが笑うのだと思います。
>人が面白くて笑ってるということに気がついていないようにも見えますが、いかがでしょうか?
面白くて笑っている事は解っています。単に笑いのツボがあわないという事でしょうかね。
>> また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。
>
>そうですね、この部分は、アスペっぽくないですね。
「解る」という事は、アスペルガーであり得ないという事でしょうか。
> 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。
>
>場面にあった適切な対応ができてない、という見方もできますね…。
これも場面にあった適切な対応が不可能なわけではなく、飲み会の時と同様、笑顔を交えたり相手の求めるようなリアクションを取る自分を俯瞰的に観ているような窮屈な感じになり疲れます。
>場を壊さないよう雰囲気を読むことまではできるけど、でも人と合わせるとストレスを感じる、というのも、コミュニケーション面の問題として挙げることができるのでは?と思います。
そうでしょうか。ただ単にわがままなだけなんじゃないかと自分の事ですが思います。
>> 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、
>
>楽しんでいる人も結構います。
>それを義務・罪と思ってしまうのだとしたら、「相手の人の気持ち(この場合飲み会を楽しいと思うこと)がわかっていない」状況のように感じます。
相手が楽しかったりするのが解るからって、同じように感じられるものなのでしょうか。
>ssさんの書いたものを読んだ限りでは、無理して(がんばって)周りに合わせているように感じました。
>でも、多数派の人たちは、多分無理してないしがんばってない(あるいは無理したりがんばったりしていても大したことはない)のだろう、と思います。
>
>人と感性が違うからssさんはがんばらざるを得なかったのではないでしょうか?
>
>まず、人と感性が違うことに、個人的にはアスペの可能性を感じます。
>人と感性が違うのは多かれ少なかれいたしかたないことだと思うのですが、無理する・頑張るということで対応してきたことが、限界に達してしまったのではないか?と感じました。
>もちろん、無理することや頑張ることも必要になることもありますが、対人関係においては、無理したり頑張ったりするよりも、相手の気持ちを理解し、自分が納得した上で対応するのがストレスのたまらないお付き合いのしかただと思います。
やはり自分はあまり発達障害の部分は無いように思いました。あったとしても少しだと思いました。自分が感じている生きにくさは、それとは別のような気がしました。
出来るけどやらないというのは、アスペルガー症候群と別のような気がしました。
>例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
>それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?
>
>後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。
不快になった場合は我慢します。人間性を総合的に見る為に必要な自分のものさしがありません。
この場では発達障害でいろいろな事が出来ず、その出来ない事で悩んでいるという人が、それを出来る方へ近づけていこうという為に話をする場で、またアスペルガー症候群の辛さとはそういう事だと思うので、出来るという自分は他に問題があるのかも知れないと思いました。
しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
自分もまわりのように楽しもうと自分を強制したこともありましたが、どうしても戻ってきてしまい、一人になります。
でもそれは、重複しますがこことは違うテーマのような気がしました。
どうもありがとうございました。
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