|
▼明日ペアさん:
>26歳の大学院生の息子のことです。昨年の7月から7ヶ月を下宿で、3月以降は自宅で引きこもっています。初め半年くらいは研究室に復帰することが前提で苦悶していましたが、いたずらに月日が経過する感じになってきて、自宅に帰るよう促しました。自宅では基本的に安心して引きこもれるよう対応してきました。
> すぐにでも事実を伝えなければという思いと、小康状態の中で本人なりに社会参加を模索しているかもしれないところへ、解決はしない障害という問題を突きつけることへのためらいがあって、切り出せないまま3ヶ月が過ぎました。ASの本など読みながら仕事に追われ過ごしてきましたが、夜中目が覚めると我が家の根本問題を突きつけられ、焦る思いがあります。皆様の乗り越えられてきたご経験などお聞かせ下さい。
「未診断だが、自分はASに近いと確信している」wentです。私には、「世間的な身分は大学生、実態はひきこもり」という経験があります。
大学には、学生相談室といった類の施設があるのでしょうか? 私の場合は、その施設にだいぶ救われました。「このカウンセラーは、大学という独特な世界の事情について、わかってくれている人なんだ」という安心感が、私の場合にはありました。
私が学生だった頃は、「自閉症なら、大学に入れるはずがない」と言われていました。ですから、学生相談室の職員がASについて知識があるかどうかは、コメントできません。しかし、今なら、教育学部や医学部のある大学なら、AS関連の知識を持った人がいるかもしれません。
この施設は、大学によって当り外れが大きいようです。また、複数の職員がいる場合、職員間の当り外れも大きいと思います(私がいた大学ではそうでした)。また、当り外れ以外に、「職員と本人との相性」もあると思います。
「実際に学生相談室を使ってみたけど、嫌な思いをしただけだった」といったような経験がなかったら、使ってみるのもひとつの方法だと思います。(職員が複数いた場合)「最初に会った職員との相性が悪かったから、他の職員に代えてくれるように要求した」という学生もいました。
また、私がいた大学は総合大学でした。同じような(と私が思った)思いを持っている他学部・異年齢の学生と、一緒に話す機会にも恵まれました。彼ら彼女らと「あんたって、結構いい奴だよ」と言い合ったりしたことも、よかったと思います。
30歳を過ぎてから、メンタル系とは無関係のエッセイを読んで、認知療法を知りました。「昔、学生相談室でカウンセラーとやっていた話は、実は認知療法みたいなものだったんじゃなかろうか。」と、エッセイを読んで思いました。
いたずらに月日が経過する感じになってきて、自宅に帰るよう促しました。
本人は、下宿よりも自宅のほうが安心できるのでしょうか? 私の場合は、自宅では安心できなかったです。自宅がド田舎ということもありますが、自宅にいる間は次のような思いが頭から離れなかったのです。
「外出したら、知ってる人に出くわしてしまうことがよくある」
「知ってる人に気付かれてしまったら、『同級生の誰それさんが、玉の輿に乗って今では○○市に住んでいる。』といったような会話に付き合わされるハメになる」
「ご近所さんから、白い目で見られているかもしれない」
「親戚や兄弟からも白い目で見られているかもしれない(注 「あいつにはカネを渡すな」という陰口が、実際叩かれていたそうです。私が会社員となってから、親から聞きました。)」
大学時代、カウンセラーから、「有意義な日々を送ろうと考えるよりも、『自分が落ち着ける・暮らしやすくなるにはどうすればよいか』を考えることを優先させろ。ひとつの方法として、学生という身分をフルに使って、回り道と思われるようなことを考えたりやったりするのもアリだ。」というメッセージを受け取ったのではないかと思います。
カウンセリングを始めて2ヶ月位は、「前向きになれる方法を教えてくれ。このカウンセリングでは、バカ話しかやらないじゃないか」という思いしかなかったです。カウンセラーの前で、「『私の本心とは違うけど、カウンセラーや一般社会は、このような答えがきっと好みなのだろう』と思ったことを話してしまう」といった調子でした。
その後「前向きになる方法なんか、もうどうだっていい。だけど、この人とやるバカ話は面白い。だから、カウンセリングに行く。」という方向に変わりました。
カウンセラーにも、「こんなことを話したら、変だと思われるのではないか」「こんなことを話したら、嫌な人と思われるかもしれない」といったようなことでも、話せるようになっていました。「嫌な人と思われても仕方がないことを言ったのなら、反省し、今後の教訓にすればいい」で、片付けてくれました(断罪するようなことはありませんでした)。カウンセリングが楽しみになったのです。
変な話ですが、前向きになる方法を求めなくなってからのほうが、暮らしやすくなるヒントを得られるようになりました。
今は社会復帰系の話題は「ウザイ」の一言ではねつけ
「これから先、どうやっていくつもりなの?」「言ったいつまで、こんなことを続けるつもりなの?」と言われるのが、私は一番嫌でした。
「『来年3月まで続ける』とか『将来、○○をやる』とか言える状態にあるのなら、悩まないし苦しまない。逆に、このように答えられる状態にあるのなら、こんなことをわざわざ聞いてこないだろう」と思っていました。
研究室で躓いたときに本人を苦しめたのがこの病歴でした
これは、本人がそう考えているのでしょうか? ほかにもいろいろな思いを、本人は持っているのかもしれません。私の憶測に過ぎませんが。
私は、ASよりも先にLDについて知りました。LD関連の本を読みあさっているうちに、ASについても知りました。LDについて知ったのは、カウンセラーとのバカ話を楽しんでいた頃でした。LDやASを、「解決しない障害」というより「自分に合った方法を模索する際の指針」と思えたのは、知った時期がよかったこともあると思います。
|
|