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▼こますけさん:
こんばんは。お返事ありがとうございます(^^)。
> 一番とんでもないワーカーはインテークを理解していない人でしたね。(こっちが警戒してしまい、話がうまく進めなかった)
状況が想像できますねぇ。「話聞いてるの?」「ちゃんと分かってる?」と思ってしまうワーカーっていますよね(自分も同じようにならないよう、と気をつけていますが)。
> うーん、自分でも謎ですね。当時、閃いたきっかけは学校生活での人とのかかわりの多さからで、世界は広いと言うことはもっと人がいる、そのことから考えると人とのかかわり方を学んだ方が大切だ。でもどうして学校ではそのことを教えてくれないのだろう。と思っていました。(笑)
> そのかわり、一切役に立たないと思われる勉強をしなかったので万年劣等生になりました。(好きなことは別)
> 今でも多角的に考えるところは変わっていないです。(これは結構役に立っています。でもこの考え方が出来ない人が多いのは何故だろう)
あ、でも私にも思い当たることがあります。小学校4,5年生の頃学校へ行くのが嫌でたまらなかった時に「私が学校へ行かなかったら誰が得するんだろう」と考えたのです。少なくとも自分じゃないと思ったときにハッとしたことがありました。何で私が嫌だと思っている人のせいで、自分が損しないといけないのかと思い、少なくとも私にも学校へ行く権利があるし、それを止める権利はイジメている相手にはないと考えました。だったら学校へ行こう、そして得意な勉強で見返してやると思いました。
その頃からいじめられても負けなくなったし、そこそこ仲のいい同級生もできました。今考えると発想の転換で気の持ちようが随分変わったのかもしれませんね。
> 母に無言の反抗し始めたのもこの頃でした。そうでもしないと自分の世界が壊されてしまうと思ったことと、同級生の親をみておかしいと感じるところが有ったからです。
私はむしろはっきり口に出して母親とけんかしていましたね。教会で出会った親子や、小説の中の親子関係を見ていて「うちの親って変!」と感じでいたので、「おかしい」と思われたことはすごく共感できます。
> それでも母の思い込み攻撃はすごく逃避していました。(自分を守る為、他に自分が2人いました)
私もよく母に「あんたはジギルとハイドよ!」とよく怒られていました。頭の中ですごい美人でみんなに好かれて…というようなキャラを作ってよく遊んでいました。高校くらいで「いい自分」と「悪い自分」に変わってきました。
> ここでも成績は好き嫌いなどで適当にやっていたのでひどかったですね。(笑)
>一番よかったことは、生徒の年齢がばらばらで自分の親ぐらいの人にほめてもらったり、生活の知恵的なことを学んだことかな。(親は社会性ないし、ほめてもくれなかったので)
> たしかにアスぺの人にはいろいろな面からみても、通信制の方があっているかもしれませんね。
そういう場所っていいですよね。私も教会に行って同じような経験をしました。親以外の大人から社会のルールを学ぶ経験って大切ですよね。
> もしかして授業の進度の速さより、話を拾うことの方が大変ではなかったですか?
>私は講演会に行ったりすると、ほとんど話が抜けています。(本読んでいるほうが理解出来ると後悔する。小人数なら解るのに)
そういうことはなかったです。もともと文字⇔音声に変換する作業はわりとスムーズにできるようです。そのためか授業のノートを取るのもけっこう得意でした。
高校ではとにかく授業を分かるには毎日予習を2,3時間くらいしないと置いていかれるので、本当に必死でした。何しろ普通なら1年かけて学習する数学Iが9月に終わってしまうんです。英語も帰国子女の人たちがスラスラ答えてしまうので、「何でそうなるの?」と思う間に次の項目に進んでいました。
> うちの母方の祖母の兄弟がみごとそうです。(うちの母は一人っ子)
>もしかして今、ひきこもっている私のまたいとこがいるらしいがそうかも。
私の母は3人兄弟ですが、全員アスペの気があります。父の兄弟も境界知能、LD、ADHD、アスペなどが組み合わさっていてバラエティー豊かです。環境因子も多いのでもう訳が分かりません(苦笑)。
> 私ももっと秋桜さんとメールしたいです。
>けれども今、Macがないのでできない。(泣)
>持ち主の姉に頼むか、PHSの機種を変えると出来るので早々に検討しますね。
>その時はよろしくお願いします。
楽しみに待っています。就職もうまく行くといいですね。
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