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▼Chiquititaさん:
>>>>私の場合はあまりにも体育の授業で他の生徒との格差が大きく、さらし者にされることも多かったために、在籍していた学校では体育の授業毎に「Chiquitita対策会議」なるものが招集されていたそうです。
>その理由は、体育の授業に対して示す恐怖感が、(私の通っていた学校では)前例のないほどひどいものだったのも一つの理由です。
>私は普通学級に通っていましたが、一部の教師が私に養護学校への転校を進言したのも、そういった事情があってのことでしたが、私も親も世間の偏見を嫌って猛反対した記憶があります。
Chiquititaさんもそうだったんですか。私も同じような経験をしています。
>私のケースは、身体障害が絡んでいるので極端な事例ですが、もし現に学校で体育の授業に苦手意識を感じられていらっしゃる方、あるいは現に子育て中でお子様が体育の授業に苦手意識を示されていられる方は、発達障害が運動神経を破綻させていることについての裏付けが取れていることを心に留めていただきたく存じます。
私の場合、小学校4年生のときに異常な恐怖感がなくなりました。担任の先生が、配慮してくださったからです。
「状況判断ができない」「身体のどの部分をどのように動かせばよいのかわからない」「適切な動きができなかったら、怒鳴られたりからかわれたりする(しかも、これらのことを親や一部の教師が率先していた)」といったことを、恐怖心と同時に当時意識していました。
しかし、その担任の先生は、怒鳴りつけるとかバカにするとかいった態度を取ることはなかったのです。「怖くない。大丈夫だ。」と、きちんと伝えてくださったのです。
例えば、水泳の授業で水を怖がっていたときに、「朝、顔を洗うのと同じだ。怖くない。」と、落ち着いたかんじで言葉をかけてくださいました。
球技のとき、ボールの動きと自分の身体の動きをどう合わせればいいのか戸惑っていた私に、実際手をとって身体を動かして説明してくださいました(もっとも、触覚過敏のある人は、この方法は合わないかもしれませんが)。
また、「人並みのできばえ」や「年齢相応のできばえ」といったことについては、全然ふれられませんでした。「上達しているプロセスを、went自身が驚き楽しんでいる」という事実を喜んでくださったように、子供心にも思えました。
この先生は、私にとっては恩師です。しかし、他の生徒や保護者からは「えこひいき」と思われていたようです。また、「人並みのできばえや年齢相応のできばえまでは届きそうにない子供には、いくら教えてもムダだ。そんな子供のことよりも、他の子の実力を伸ばして欲しい。」と、私の親はうちの中では言っていました。哀しいですが。
「人並み・年齢相応にできるようになるかどうか」に、大人が執着しないでほしいです。「上達するプロセスを本人が楽しめる」ことが、大切だと思います。
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