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笛です。
私へのご質問と受け取りましたので、お返事します。
>>ほめる必要・叱る必要については私にはわかりません。
>>必要に関係なく、定型発達の方々はこういう事を日常的に行っているようですし、
>>私にはほめられてるのか、もしそうならなぜほめているのかわからないことが多いからです。
>>同じ職場の方は、「仕事でほめられるとやる気が出る」と言いますが、私には理解できません。
>
>これは「ほめられても、嬉しくもなんともない」ってことですか?
難しいご質問です。
私の場合、まず「ほめられているのかわからない」ということがあります。
良かれと思ってしたことで、厳しく叱責されることもありますし、
単に自分で面白いからしたことで、妙に感心されている(らしい)こともありますし。
前者の場合はただただ恐いと感じ、後者の場合はただただ不思議に感じます。
特に頭の中が疲れている時は、世の中がすべて「不可解」に見えます。それ以上思いが発展しません。
よくアスペルガーの特質として、出来る事と出来ない事の差が激しいと言われますが、
それはおそらく定型発達の方々側の評価ですよね。
当事者にとってはそれが普通の事ですので、自分の中の基準と、
「ほめられる」「しかられる」時の基準にずれがあるのではないかと推測しております。
自分の中で「よく出来た」と判断した時にほめられると、「ほめられた」と認識するように思います。
(私の場合こういうケースは稀です。)
>定型とされる世界で肯定的にとらえられている特質に対して、
>肯定的・否定的いずれの評価もしていないということでしょうか?
評価をしていないのではなく、根本的には出来ないのだと考えます。
定型発達の世界で何が肯定的にとらえられているのかは、時と場合によっても変わってくるのですよね?
アスペルガーの当事者はそのような融通性がきかないので、その時々で評価されるべき言動が変化する事がなかなか理解出来ません。
ひとつずつパターンを記憶していくしかないのですが、それでは応用がききませんし、複雑な「時と場合」の組み合わせに対応するのは、私には未だに出来ません。
定型発達の世界では、そのような事はいちいち考える間もなく対応することが出来るらしいのですが、
私には、過去のパターンを取り出して分析したり、それを基に推測したり、という作業が必要ですので、
時間もかかるし、定型発達の世界で要求されるスピードと精度を満足させる事はとても出来ません。
結果、無反応・冷淡・お高くとまっている・わがまま・叱られても反省がない・ほめられても謙遜しない等々
子供の頃から様々に言われてきました。
どうしてそう言われるのかも理解出来ないでいました。自分の中ではいたって普通に振る舞っているだけでしたから。
>アスペらしき息子に、「自分の好きなこと、夢中になれること、自信を
>持てることを伸ばしていってほしい」という思いで、一生懸命いいところを
>ほめてきたのですが、「心に響いた」手ごたえがまったく感じられないので、
>うかがってみたくなりました。
当事者の「心に響いた」かどうかは、定型発達の方にはわからないかもしれませんよ?
「心に響いた」時はどんな反応をしたら定型発達の方々にわかってもらえるのか、息子さんにおしえてあげてはいかがでしょう?
そして、そういう反応によって親御さんがどんなに嬉しいものかも、おしえてあげる事が必要かもしれません。
(なんと私は、私の感情は私だけのものであって、私以外の人には関係がない、というよりも私の感じていることに他人が興味を持つとすら考えたことがありませんでしたから。)
しかも心に響いたからと言って、すぐに生活全般において定型発達の方々の目から見た改善には結びつかないかもしれません。
アスペルガー症候群と言っても個人差がありますから、反応の現れ方にも個人差があると推測出来るからです。
以上は、すべて私の話であって、アスペルガー当事者を代表するものではないかもしれません。
しかし親御さんと息子さんの幸せのために何かご参考になれば、と思って書きました。
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