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>>>多分、心の理論といっても、けっこうアバウトなんじゃないですか?
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>>自閉症を自閉症たらしめているものですから、アバウトではないと私は考えます。
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>私が言いたかったのは、心の理論のあったとしても、やはり0か1かと
>キッパリ分かれるものじゃなくて、定型発達といえども濃い/薄いの
>ばらつきがあるのではないか?ということです。
色々と中略しても長文になってしまいました。もしご興味があればお読みになって下さい。
またHPには、更に長文の論文が掲載されていますので、ご参考にどうぞ。
以下で「心を理論の有無についての簡単な検査」と呼ばれているものが、アンとサリーの課題のようなものを指しています。
ですから私は、アンとサリーの課題をクリアできたからといって、必ずしも「心の理論」が備わっているとは限らないと考えます。
福本氏(医学博士)のHP
http://home.u02.itscom.net/fukumoto/hp/shyohyo/archives/asperger.html
抜粋して引用******
アスペルガー症にも幅があり・・・中略・・・
(1)対人関係の重度の障害。特に同年令の子供との相互的やり取り関係がないという明確な特徴を持つ。
(2)言語及び非言語の両面にわたるコミュニケーション障害。
(3)ごっこ遊びなどの想像的活動を楽しまず、代わりに反復的行動をすること。
彼らが対人場面で奇妙(1)なのは、相手の意図を理解すること・相手の視点を共有すること・自分の心の状態を相手に伝えることをしない(その必要性を理解しない)からである。彼らは信じる・知っている・望むなどの相手の心の状態を考えることに困難があり、考えたり感じたりする存在として他人を認める能力が欠如しているようである。アラン・レスリーは、心の状態の理解と彼らに「ごっこ遊びmake-believe play」ができないこと(3)が、指示関係・真実性・実在性それぞれについて「振りpretence」を要する点で論理的に共通していることを示した。認知心理学的に言えば、これはメタ表象の形成-分離過程の障害である。これらから想定された自閉症の障害が、バロン-コーエン・レスリー・フリスらの提唱する「心の理論」の欠損である。
「心の理論theory of mind」を持っているとは、振る舞い(外部的な事象の状態)と心理(内部的な心の状態)との関係を予測することである。一般に他者の行動は、行動結果に心理的原因を推定する心理化mentalizingの能力によって、論理的なつながりからばかりでなく動機と感情的背景を考慮して理解される。「心の理論」を欠いた者は、行動の背景にある動機や心の機微を除外して、意味を理解しないか自分流の「規則」を当てはめて機械的な対応をする。それはコンピューターのソフトウェアが、予測された事態に対してのみメモリーとプログラムに沿って対応できる硬直性に似ている。自閉症者は、このように制約された行動主義者である。現実への適応は主に直観にではなく、事象或いはそれを抽象した規則の暗記に基づいてなされ、学習の汎化は容易に起こらない。
彼らの内で「高機能」の者は物の世界の連関を理解するし、全ての人間的な意味が分からないのではない。
(1)純粋な事象・単なるメッセージ(事実)の伝達・単純な命令は理解できる。それらは或る程度学習が可能であり、初めからその能力を有する者もいる。それに対して、
(2)意図のコミュニケーションでは、受け手は情報を相手の心の状態に関連させて伝えられた情報を評価すること、すなわち相手の立場に立って意味を把握することが必要だが、彼らにはそのような直観が欠けている。
・・・中略・・・
一方、自閉症児の感情表出は、誰にでも通じる一般的な表現を用いず、自分だけの特異的な表現を用いる点が特徴的で、その子の親でも彼らの状況を判断できないことが非常に多い。それは特定の場面に密着して符丁のように用いられ、彼ら自身にとっても通常の言語と同じ使用価値を持っているかどうか不明である。
・・・中略・・・
適応が進むと、「心の理論」の有無についての簡単な検査にパスするようになることもある。彼らは青年期になると、自分が閉め出されている対人交流の世界があるらしいことに気づく。しかし、その先の理解と参加は容易ではない。
******引用終わり
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