|
▼ペンライさん:
>こんばんは。初めて書き込みをいたします
>
>「あまっている」=「買って用意する」は違う、と。なので、母の女優魂に火がつき、「ママ、急にお茶が飲みたくなったわ。どうしても、あのお茶が飲みたいの。今から買ってくるわね」と。そこまではよかった。
>「あまっていた」=過去形なわけで、「あまっていた」状態にするには、飲んだ直後のペットボトルは当てはまらないらしい。
>
>そして、致命傷だったのが、500mlとの指定。おそらく、そのぐらいの、の指定だったと思います。先生にしてみれば、マラカスに使うのですから、mlはどうでもよいのでしょう。でも、息子には大事な数字なんです。私が飲みたかったお茶はくしくも480ml。
>
>買いなおしを重ね、ビーズも(母のネックレスを解いたら、それもだめ、買ったのもだめ、もらったのもだめ、祖母に偶然訪ねてきてもらいさも発見した風を装ってもらい)解決。すべてがそろうまで学校へはいけないとてこでも動かず、学校を2日休んだ息子です。
>
>端から見ると、「なんでそんなわがまま通させるの?」に映るでしょうね。
>医学的にいえば、適応障害なんでしょうね。
>本人に言わせると、「規定を(500mlとか)を守らない信じられない母親に僕は責められる理由がわからない」だし、
>私から言わせると、「手がかかる子」なんです。時には相手してつぶれてしまいます。へこたれてしまいます。
「化学の実験ならば、このへんのことを厳密にしないと、『爆発(>_<)』といった事故に繋がりますけど、楽器のマラカスならば、じゅず球をギュウギュウづめにすると、音が伝わっていく空気の部分が無くなって音は出ません。この部分が相似的にきちんとあることのほうが重要で、500mlきっちり容量が無くってもじゅず球が50ml入ればいい音がします!」
とでもいわなきゃ、納得してくれなさそうですね…
>融通が利かない、これを翻訳すると、アスペルガー?って辞書にのってないかなー。診断してもらうことも大事。それはわかるんです。でも、突きつけられたら、今度は診断に即した対処をしなきゃいけなくて、苦労するんです。対処を突きつけられるんです。
>私だって、完璧じゃない。子どもの性格に対処できなくったって、柔軟な思考ができてほしいって、無理な望みを子どもに持つ日があったっていいじゃない。
何もAS児だからといって、『100%子どもが満足することを提供しなきゃ…』という風に身構えなくっても大丈夫です。
もし『それでも…何か足りない気がするんです(?_?)』というとき、杓子定規なタイプの子の場合によく足りないのは、『丁寧に話を聴いてあげる』ということであることが多いです。
話を聴いてもらうことで、『疑心暗鬼さ(?_?)』『不安感(@_@』
『焦燥感(‘_″)』といったことが和らいでいくと、愛息君は、自然と『柔軟な発想(^_^)』ができるようになってくると思います。
|
|