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▼なるとまきさん:
>空気読めない
>テレビでも最近よく取り上げられているようです。
>
>とても若い方が、どういう時につかうかを
>「あいつ空気読めないやつだよねぇ」と・・・
>
>この言葉を聞くたびに、嫌な気持ちになります。
>たぶんうちの息子(中一・高機能自閉症)も
>私自身も回りから、そう言われていると思うからです。
>
>でも、人をあいつ呼ばわりする言葉づかいも
>どうかと思うし、空気を読むってどういう事と
>最近思ってしまって・・・
>
>確かに、大勢いる場所であまりにもひどく
>迷惑な行為に及んだり、目立つことをすれば
>批難されるのはわかるのですが
>このKYという言葉、すごくささいな時に
>使われているような。
>空気読め!言ってる方のその空気が
>本当に正しい空気なのって思うのですが。
>
>回りに合わせる事ばかりに終始して
>違う視点から物を観る。
>違う意見にも耳を傾ける。
>こういう事も大切だと思い
>また、息子のような感性の持ち主にも
>居場所を与えて欲しいと
>切に願う毎日です。
>もう自分自身に関しては、ぽつんと一人ってのは
>まぁ悲しいけど、慣れてしまって
>それなりに楽しむすべも覚えてきたので
>
>早く息子にも、そういう日が来ればと
>思っています。
>でも、やっぱKYっと言葉嫌いです。
KYわれわれにとって相手の立場になる勉強かもしれない。でもみんなが残業をしているから、自分もするというKYは読まなくてもいい。
AKY(あえて空気を読まない)生き方をわれわれはすべきではないか。定型にあわせる生き方はわれわれにはしんどいし、辛い。KY=空気を読むと言う事が相手の気持ちになると言う見方をすればいいが、われわれは相手の気持ちになりにくい。kY=空気を読む定型の側がそういう人もいる。マイノリティに配慮=気配りをする。
そうしたらわれわれも歩み寄る。お互いの共存になるのでは????
この館に来る人は、人間関係・会話の事で悩んでいる人が多いが、本屋に行けば上手な話し方の本は山のようにある。定型も人知れずうまく話したい。相手と打ち解けたい。相手の本音を引き出したいと悩んでいる。
定型とわれわれにも共通の部分がある。このごろそう思う。
話を本筋に戻すと、KY(空気を読まない人、障がいがいてもいいのではないか)を読めない障がい者がいることを定型の人にわかってほしい。
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