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こんにちは〜。
▼明子さん:
>定型発達の人は、おそらく井戸端会議や世間話から、視覚・聴覚・嗅覚をフル作動させて、膨大な情報を得て、なおかつ、膨大な過去の情報とすり合わせて、自分なりの判断をしてるんじゃないかな?と思います。
きっとそうなんでしょうね。
先日、次男が居残りではできる課題も一斉授業でできないことについて、
主治医が「あー、情報が全部等価に一度に入ってきちゃうタイプだから、
あらゆることが刺激になって気が散るんでしょう」と。
まさに私も情報のふるいわけができないんだな、だからひどく疲れるし、
1対1では聞き取れることでも聞き取れなくなるんだな、と思いました。
>「この人とは深入りしたくないな」と思われてしまい、波風を立てずにさりげなく離れられたら、ASの人は戸惑いますよね。
>その辺にも、ASの人と定型発達の人のコミュニケーションの難しさがあるように思います。
うーん、私はさりげなく離れられたら、そういうものかと納得はするけど、
やはりこっちが好意を持っていたときは寂しく感じますよ。
わかってもらえない挫折感というのは、何年経っても慣れないものです。
だからこそ、わかってもらえる発信スキルを身につけたいとも思います。
>決め付ける人もいれば決め付けない人もいるように思います。
そうですね、例がちょっと、適切でなかったかもしれません。
なんと言えばよいのか…
とにかく幼児の頃から自分の発言や反応が周囲の怒りを買ったり
驚愕されたり、”変わってる””子供らしさがない”等言われてきて、
周囲との違和感を感じ続けてきたのだけど、自分は自分の体験世界しか
知らないから、自分の何が人の何に抵触するのかがわからない。
ことさらに地雷を踏みたい気はないのだけれど、地雷を踏んでしまった
ようだ、というのはわかるし、私の場合、相手が怒ったら申し訳ないな
という気持ちになります。でも何が悪かったのか、やはりわからない。
しかし一方では非常に鈍感な部分もあり、たとえば私にとっては
”変わってる”という言葉にネガティブな意味合いはないので、侮辱の
つもりで言われても気になりません。でも他の人は侮辱されたと
受け止める人もいるので言わない方がいい、とか、こういうのを一々学習
していく必要があります。
自分の中の価値基準が特異なんだから、けっこう疲れます。
>人の発言を聞いていて、時に、「それは言わないほうが…」とか「もう少し言い方があるんじゃないかな?」と思うことがあります。
>でも、大抵の場合、スルーしてしまうので、相手の人は自分の発言の問題に気がつかないままです。
難しいですね。
特に大人になっちゃうと、親切に指摘してくださる方はなかなかいないので、
本来なら指摘していただいた方がありがたいのですけど。
指摘したとき、感謝されることの方が少ないですしね。
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