|
▼mayoさん:
>そうですね。「〜ができない」「〜がわからない」と言われても、
>身体障がい者のように、できない部分がはっきり見えませんから、
>本当にできないのか、やろうとしないだけなのか、うまく訓練しさえすれば
>できるようになるのか(外国人が日本語を使うときのように、不自然な感覚は
>残るにしても)、その判断がつきません。
それは当事者でもわからないことなのです。
無理の末に疲れ果てて体調を崩すほど努力して、やっとなんとか人並みに見える程度に出来ることもあれば、
そのような努力でも出来ないこともあるようです。
ただ、本人もわかっていませんので、どこまで無理をすべきなのか、私には未だに判断出来ません。
「出来るか・出来ないか」をどの程度の努力で判断すべきかわからないのです。
全く努力無しに定型発達の人が見たら驚くような事もします。
これまたどうして驚かれるのか不可解な部分が大きいです。
>たとえば、どこまでが「率直」でどこからが「きつい」のか、判断がつかないということですか? めえめえさんも書いていらっしゃいましたが、自分では「率直」に言ったことが「きつい」と受け取られてしまうとか?
「どこから」もわかりませんし、どんな状況ならばどう評価されるのか、というのがわかりません。
>逆に、笛さんご自身は、誰かに何か言われたときに「これは率直に言ってくれた。耳に痛いアドバイスだけど、ありがたい」と感じることと「それはきつい。そこまで言わなくても」と感じることはありますか?
私は自分の受け取り方に異常があるらしい事は診断されてからは知っていますから、相手の言っていることを一方的にきつい、と受け止める事は誤りがあるだろうという推察をします。
ただ、「(良かれと思って)率直にアドバイスしてくれた」のか「きつい」のかは判断出来ません。
きついな、と感じても、自分の感じ方が誤っているのかもしれませんし。
どういうニュアンスで言われているのかわからず困る時は、第三者に状況を説明してアドバイスを求めることもありますが、
「それはきつい」と言われて初めて「そうか、これはきついのね」と判る時もあります。
>>それから、「嘘も方便」と「嘘をついてはいけない」も場面に応じて使い分けるのは難しいし、なぜ嘘をついても良い状況があるのか不可解です。
>
>信頼関係が揺らぎますから「嘘はいけない」が基本だと思いますが、正直にすべてを話す必要がないとき(全部話すと余計混乱させてしまうとか)、正直に話すことで相手を傷つける可能性があるときは、例外として嘘をついてもいいということになっているようです。でも、その判断はやっぱりケースバイケースかなぁー。
私にとっては、「信頼関係が揺らぐ」から「嘘はいけない」のではありません。
嘘はいけないことだから、嘘はいけないのです。それだけです。関係の問題ではなくて、自分の問題です。
>そういうファジーな状態が笛さんは好きじゃないんですよね? 定型には、
>そういうファジーな状態に耐えられる鈍感力があるってことなんでしょうね。
好きか嫌いか、ではなく、不可解なのです。
>そうですかー。「アスペ」ダメでしたか。では笛さんとのやりとりでは使用を
>避けるようにしましょう。
お気遣いありがとうございます。そうして頂ければ非常に助かります。
>>なぜ省略形を使うのかが不可解である(その名詞が本来示しているものとは別物としか受け取れないということもあります)
>
>そうなんですね。同じものを別の角度から見ている・表現しているという感覚には
>ならないわけですね。
省略形を使う、という事は、「別の角度から見ている」という事なのですか???
今初めて知りました。
>自分の意志でこだわっているのではないということは、自分の意志ではやめられないということなんですね? 「とらわれ」から抜け出せる方法はありますか?
もちろん自分の意志ではありません。好きだから、好きでこだわっているわけではありません
今のところ、自力でとらわれから抜け出した経験はありません。
>自然にやり取りしているように見えて、定型発達の人もいろいろと迷ったり、悩んだり、間違ったり、傷ついたりしているんですけどねー。自閉症の方はもっとたいへんなんですね。おそらく自閉症の方は、外国語を学ぶように、言葉の使い方をいちいち意識的に学んでいかなくてはならないし、学んで使えるようになったとしても、ネイティブのような自然な感覚では使えないということなんでしょうかね。
定型発達の方々が悩んだり、間違ったり、傷ついたりしていないとは考えていません。
よく観察していればわかります。(私は自分を観察者とかスキャナーと呼んでいます。)
定型発達の方々も脳内ホルモンのバランスに異常をきたして病気に苦しむこともありますし。
どちらがどの程度大変か、というのは誰にも比較できるものではないと考えます。
ただ、違いがある、ということだけです。
しかしながらこの社会・世界は、定型発達が圧倒的に多数ですから、定型発達寄りに社会認識・構造が出来ています。
そんな社会で自閉症当事者にとって圧倒的に不利点が多いのは、非常に民主主義的であり、論理的と考えます。
|
|