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このスレッドはこれで終わりにしてください。
先ほどめえめえさんからは「落ち着くまで書き込みは控えます」という連絡をいただきました。
また笛さんや明子さん、他の参加者にもご心配をおかけしたらすみませんとのことでした。
今回行き違いが生じた原因は自閉の要素が強い人とそれ以外の人のコミュニケー
ションやもののとらえ方に対する考え方の違いだと私は感じています。
自閉の要素が強い人にとってはコミュニケーションは論理的な問題解決課題であり、それを無意識のレベルでできるようになるまでは楽しいものになるとは限りません。楽しいものだと実感する経験が少ないということだけでも、知らない人にとってはかなり驚くことなのです。
これはずっと仕事をしてきても感じていることです。障害があっても自閉症のお子さんとそれ以外の障害のお子さんとではやはりコミュニケーションに関しては最初の構え方が違うものだな、と折に触れて感じています。
私自身は幼いころからの療育や周囲の人たちの支援でコミュニケーションを楽しむことができるようになりました。しかし夫は楽しみたいけれどもそれをこなすには試験問題を解くようなものであるのだな、と見ていて感じています。そしてそれは過去の私の姿でもあります。
それがなぜなのかも私は知っていつつも夫とコミュニケーションを取っていく上で傷つけられることは多いのです。そのためmayoさんもつい色々聞いてみたくなったのではないか、と私は思っています。
ただmayoさんが「コミュニケーションはなぜ楽しいの?」「ほめられるとなぜ嬉しいの?」と聞かれても答えようがないように、めえめえさんも「なぜ嬉しくないの?」と聞かれても答えようがないことを色々聞かれて混乱したのだと私は考えています。
コミュニケーションが楽しい、というのは動物同士でもあるので恐らくつながっていないと生きていられない本能のようなものだと私は考えています。細胞同士がコミュニケーションを取ることで生物は生きているのですから、ある意味当然と言えば当然のことです。
ただそれが感じにくいことが自閉症スペクトラムの人には多い印象があります。
そういうものだとご理解いただけると幸いです。
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