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こんにちは。はじめまして。
30台の後半に結婚、出産をして、1歳の息子がいますが、夫の転勤と、引越しを控えています。
私自身、自分のことで手一杯の状態で、アドバイスはできませんが、自分の経緯を参考までに。
幼少時から、幅広い交友は出来ず、集団から浮き上がることが多く、当時の大人はそれは、子供特有のことだからと大目に見てくれましたが、なぜか、わがままだと母親や親戚から、そういう子供として扱われ、それを克服しようと努力しましたが、不登校かつ、幅広い交友は出来ず、高校時代、集団から、私たちのグループは浮いていました。
自分の感覚としたら、うるさくちょっかい出されずにいて、かえって気が楽でしたが、成人してから会った、当時の友人からそれはいじめに遭っていた、と言われてもわからずにいて、解釈が間違っている事に気づいたのが成人して彼女に会ってからで、嫌いな人と付き合わない、女子高生の流行など嫌い、その感覚が世間にとってどういうものか理解できずにいて、努力が裏目に出て、成果が現れず、わがまま、甘えているのレッテルが貼られ、そういった解釈で接してくる人を避けていました。そんな解釈をされて、家庭でも行き違い、諍いが多く、社会人になって、アパートを借りて一人暮らしを始めて、家庭、職場での適応から、半ば引きこもり、かつ、転職を繰り返し、父親からの経済的な援助に頼らざるを得ませんでした。
知人からの紹介で、法律関係の事務所に勤めましたが、1年になるころ、そこの弁護士に性的な冗談を毎日言われ始め、それを回避しているうちに、そんな折、鍵を何回を確かめるなどで心療内科にかかり、退職して、29歳までに、職場と医療機関を転々として、30代に入り、実家に戻り、登録のアルバイトをしながら、今で言うニートのように言われ、家事にも、就労にも居場所のない、居場所のない生活をしていたある日、自分のことを知らない人が働くだろうと、車で30分かかる主婦の多い職場に勤めましたが、なぜか、浮くことが多く、作業自体はきれいでまじめ、と評価されましたが、場違いに怒り出してしまい、人間関係に乗り切れることが出来ず、退職しました。
それから、実家の立替の時期に、仮住まい先で幻聴に襲われ、学校、社会、職場、家庭での不適応を責めたてる声、嘲笑が聞こえ、地元の地主、有力者、その墓地や、知人の家の近所のせいか、そこにすむ事自体が間違いであるかのような声が聞こえて、脳神経の病院に駆け込み、薬をいただき、声自体は消えました。家族とのすさんだ生活の中で、どうすれば、良いのかわからなく、警察の生活安全化にも相談し、諍いから逃れるために、父の実家にも泊まりに行ったこともあります。
そんなある日、新聞に高機能自閉症の記事が掲載され、子供時代の立ち歩き、当時の年には合わない頻繁な大泣きなど、症状に心当たりがあるので、それに関連した医療機関を紹介してもらい、ウェイスの検査を受けました。しかし、そんな矢先、母は、脳溢血で亡くなり、母に対して結果を言うのか否か、聞かせれば安心するのかしないのか、知る由はありませんが、父は、理解する一方で、それを他人事のように解釈し、ほかに兄弟がいない一人っ子という家族構成に対する偏見か真実か、昔からのレッテルを改めたかどうかはわかりません。
結果として、診断を受けたこと自体が自分にとっては、生活の至らない点を診断の言い逃れにしている、付き合うのに疲れる、と言われれば、残念ですが、ひとつの基準が与えられ、昔から、貼られてきた不愉快なレッテルに線引きがされて、無意味な苦しみから解放された意味でも、診断は、ありがたいと思っています。
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