|
▼penpen様:
早速の御返信有難うございます。以前から頭の隅に引っ掛かっていたことを少しばかり書いてみようと思います。
>▼世捨人さん:
>>つまり、思い込みで突っ走ったりせずに、自己の知識の程度と関心の在処についての絶えざる反省、つまり常に思慮を働かせることこそが、哲学的思考の成熟乃至大成の前提となるのではないでしょうか。
>
>そうですねえ。でもあまりにまっとうなことを言うとその言葉が
>自分に痛く返ってくるということがあってどうもわたしは反論できないくらい
>まっとうなことを言うことに不安感があります。
>
>具体例で言うと子供に“健康のために好き嫌いしないで食べなさい!”というと
>“おかあさんだって好き嫌いあるじゃないか”と即座に反撃されます。
>なので、世捨て人さんの言われる“絶えざる反省”“常に思慮を働かせる”は
>わたし的には
>非常にまっとうであるけれど自分では言わないでおこうという言葉のひとつです。
>こころの片隅に常に置いてはおきますが……。
>
いやこの御意見から推察しますと、日頃常に思慮を働かせておられるようですね。それから、まっとう過ぎるようなことを、何の気後れなしにいつも口に出すというのも、やはりどこか反省心が喪失しつつある状態と疑ってもよいかと思います。
それから、本当に鈍感乃至無思慮な人間とは、自己の素質や行為の意図並び結果について殆ど考え込んだりしないように見受けられます。つまり、後から自己の意図を問い質すようなことをする代わりに、自己の決断を自らの外部の既成の事実、そして行為の帰結を恰も自然現象のように見做すような傾向があるのではないでしょうか。この種の問題については、丸山真男の東京裁判論や、原爆投下機搭乗員についての各種の考察などを例として、以前からしばしば取り上げられていますね。もし御関心がおありでしたら、次の本などはいかがでしょうか。また、常に考え込んでばかりいると日常生活も送れなくなる、なんてことも書いてあります。
アレント(アーレント)『精神の生活・上巻』序文(岩波書店刊)
私の観察例のひとつですが、三十代を通して虫歯により何本もの奥歯を抜かれたも拘らず、自己の食習慣について一向に思い返さない人がいました。その人物の言動以外にも、何本かの奥歯が欠けていることについても殊の他不審に思ったので再度尋ねてみると、「いやその頃毎晩遅くまで講義の準備をしていましたからね。だって徹夜マージャンを長年続けていると、歯が悪くなるとよく言われるでしょう。」という答えが返ってきました。その時の夜中の飲食物についての質問については、「ジュースを飲んでいました」と答えられたのですが、このジュースとはいったい何であるのか(無添加果実汁?炭酸飲料?)、並びにこの種の飲料の糖分含有量と歯への影響等については一向に無頓着な様子でした。この人物の精神的な受動性(感受性の粗さと懐疑心の欠如)及無思慮さと、先の例から推測されうる身体的知覚の鈍さとは、もしかするとどこか関係があるのではないのかと考え込んでしまいました。
なぜなら、私としては、たとえ斜めに生えている親不知歯であっても、一二回抜歯を経験するならば、あのような辛さと痛さを避けるべく、ある程度の歯についての知識を蓄えたり、一日数回の嗽と歯磨きを習慣とするようになると思うのですが。
|
|