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「それはオレにも経験がある」、とピンと来るほど、家族の意外な無理解に泣かされた経験は私にもあります。
▼モンブランさん:
>私は元々被害妄想傾向が強いので、きっと少し大袈裟にとってたところもあるだろうと思います。
>でもやっぱり私は妹が羨ましいです。
>私は最近母に(中略)
>「あんたはどうしてそう世の中をひがんだ目でしか見ないの」
>等とよく言われています。
>もっと要領が良ければこんな風には言われないのに。
>妹は私を召し使いみたいに扱うし、
>姉は多分心の底では私の事を見下してると思います。
>結局家族だなんだ言ってたって、ASの人間の行動なんて正常な人には理解できないんだと思います。
私も(11年前に死にましたが)親父とは仲が悪く、身体障害もあって「障害者の子供となんか一緒に街の中を歩けるか?」といって子供の頃、どこにも連れて行ってもらえませんでした。いじめがひどかったときも、「お前が精神病者みたいにいつでもへらへらしてるから、すぐ目を付けられるんだ。」と、まるで私の障害を他人事のように受け止めていました。
また、親父が生前パチンコやギャンブルもやらず、会社の同僚とお付き合いで小料理屋で一杯、ということもめったになかったのは、まじめな性格が理由だったのかな、と最近まで思っていましたが、むしろ障害者を抱えているという内情を同僚に知られたくないために会社と家の間をただ往復するという生活を繰り返していたのだ、ということが最近になって解りました。
もちろん、家族の中に障害者がいる、ということで親父も親父なりに苦悩は抱えていたということは理解できますが、親父のエゴイズムが絡んでいて同情する気になれません。
もしかすると、今の時点で親父が生きていたら、親父が茨城行きに反対していたことは間違いないと考えられます。車の運転免許取得も反対、恋愛も反対、などなどでがんじがらめにされていたであろうことは想像に難くなく、もしかすると親父を殺していたかもしれません。
だから11年前に親父が死んだとき、人の死に直接接して悲しかったというのもありますが、むしろ「オレの人生に一番邪魔な存在が勝手に死んでくれた」と清々(せいせい)しています。
でもそれではいけない。どんな理由があろうと、まず自分が最初に発達障害に対する知識を身に着け、それから身近な存在である御家族の方が一緒に勉強される、そういった手順で理解を深めていくのが理想だと考えています。
本人の苦しみを100%知っているのは本人だけです。だから苦しみを和らげるために必要なものは本人が真っ先に受け入れるのが唯一にして最善の手順なのだと思います。
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