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▼ウォルフルさん:
>特に現代においては何も人との相互理解の方法に悩んでいるのは発達障害者だけではないんですね。
>だから、どうすれば相互理解に至れるのかを知る為にこうしたマニュアル本が積極的に消費されていくのだと思います。
なるほど、定型発達のひとでもコミュニケーションに長けてるとは限らず、
悩んでは既成のマニュアルを参考にしている、ということですね。
PTAのお母さんたちとかを身近に見てると、実に易々と生き生きと
コミュニケートしているようで、すごいなぁと感心してしまうのですが、
まあ確かに、世の中そういうひとばかりではありませんよね。
>人間の情緒的な感受性のあり方や受け取り方、処理方法が個々で違っているのは当たり前のことなのですから、結局相互理解とはそうしたあたり前の前提にもう一度かちかえった上で行われなければならないと僕も思います。しかし、どうやら現代人はそこから人間関係を築いたり、そこから他者との相互理解を深めてゆくのが鼻から面倒臭らしく、なるべくその面倒臭さを少しでも省く為にマニュアル的なものに頼るという横着心を働くのだと思います。だからまあ、こうした現代的背景の問題のひとつに、発達障害に関して小冊子や発達障害に書かれた本を形式的道りにでも理解して、それですまして仕舞うといった問題があるのでしょう。
横着というより、自信のなさ、ではないかとワタシは思っていたのです。
たとえば集団による外遊び(缶蹴りや鬼ごっこやつなぎ鬼など)を
放課後、自発的に遊んでいる子ども達を、最近あまり見かけません。
また、学校でもワタシの時代には毎週行なわれていた学級会での議論など
今はあまりないですし、ゲームのルールを共有したり、話し合いのルールを
学んだりという体験が、極端に少なくなっているのかな?と。
ある、教育畑の友人は、物事を深く考えない傾向は「文科省の教育の
素晴らしい(<皮肉)成果」と自嘲していますが。
おそらく、今の子どもたちの親の年代も、あまり物事を深く追求したり、
深い友情を育んだりする体験が足りないような…。どうでしょうか?
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