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▼世捨人さん:
> いつもながらの早速の御返事、大変嬉しく思います。
実はわたくし、かなりひまです。(=^・^=)
>しかしその一方では、かような自己認識への希求を欠くような人物も少なからず存在するということです。
そうですね。わたしも一番避けたいと思う人は自己認識への希求を欠く人です。
言い換えれば問題行動、障害、傷病、精神疾患を持つ人を避けはしないけれど
自覚を欠く人、反省心を欠く人はわたしとは最も遠い場所にいると感じています。
自覚のない人はしばしばとても強引なので迷惑をこうむることも多いです。
> ついでながら、自己を既成の枠組みに嵌める代りに他の様々な可能性を消去するという問題を取上げた、『ある指導者の幼年時代』というサルトルの短編小説を思い出しました。
確かに選択はあるものを捨て去ることですが、
捨て去ることに伴う自虐的な快感というのもあるかもしれません。
“どうせわたしはばかなのよ!”と思い切ってしまうことの気楽さのような……。
> また、私は十代の頃から明るく集団生活を謳歌するという高度消費化社会の風潮に苛立っておりまして、殊更陰気な事柄を取り上げるのが癖になってしまったようです。
そうなのですか?! 笑
>一方では、「自己実現」とか「社会参加」とかいう言葉に釣り出されて、私生活に於いても産業活動の論理に絡め取られてしまった人(例えば出産時機を逸してしまった「キャリア・ウーマン」等)の多さに驚いています。
下手に自己実現的なパフォーマンス(?)や社会参加が出来る能力を持つ人のほうが
大きな問題を抱えることがあるかもしれません。
> もしも件の人物が、お子さん達の担任教師であるとしたら、いったいどうなさいますか。さらにこの種の人物が、学校や大学に優先的に教員として採用されるとしたならば....。
そうですねえ。その時はその時で必死に対応するしかないでしょう。
でも、わたしは先生にあまり大きな幻想は抱いてはいないのです。
前に福祉関係の仕事をしていた時に新任の先生のボランティア参加を50人単位で
受け入れていました。
先生といえどやっぱり現代ッ子というか、
県の教育委員会の方針に不服ということでいっさい活動に参加せず
すみっこでたばこをふかす人もいましたし、最初から最後まで
あれこれ不服を言い立てる人もいました。
基本的に先生になろうという人は子供が好きで人が好きという
明るくてポジティブなやさしい人が多いように思いますが……。
(ついでに言うとたくさんの人を短時間に相手にする場合は
その中のリーダー格を見極めるのがポイントのようです)
アスペルガー的な困った人はたくさんいると思います。
アスペルガーの人は頭がいいので
試験や資格を容易にとって思わぬ指導的な立場に立たされることも多いように思います。
指導的な立場になることで本人も周囲もしゃれにならないくらい困ることもありますが
自覚して自分を理解するというスタート地点にその人が立たない限り
援助は難しく他人はその人を切り捨てることで被害を最小限にとどめるしかないように思います。
わたしは世捨人さんが例に挙げた人物に自分との共通点を見いだしていますが
かといっておそらくまだ自分の迷惑ぶりを自覚しないであろうその人と
関わろうとは全く思いません。
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