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横レスの横レスで失礼します。
▼笛さん:
>しかし、そもそもギフテッドという定義は一人の人間に対して、適切な表現なのでしょうか。
>Wikipediaから一部引用します。
>
><引用開始>
>恒吉僚子の著書『人間形成の日米比較』にも同様の記述が見られる[18]。
たまたま本書を持っておりますが、恒吉の言わんとしているところは
現代アメリカ人が持つ能力観についての一般論です。
Wikipediaに引用された部分と同じ章の後段で、日米の能力観について
比較しながら以下のように述べています。
<引用開始>
ギフテッド教育に反映されているようなアメリカ人の「天賦の能力」
への信仰には戸惑いを覚える日本人も多いだろう。
(中略)
しかし、現代のアメリカ的「平等」の意味は、個々人の「違い」に
対応することに力点を置いている。人は平等な権利を持っている。
しかし、人は、生来、同じではない、というわけである。(P.60)
<引用終了>
また、第四章では以下のように述べています。
<引用開始>
ギフテッド教育や能力別指導は、「個々人の能力は異なるものである」
というアメリカ人の能力観、個人の多様な必要性に個別に対応するべき
だというような個人主義的な発想、人材開発の要求や業績主義などと
関連している。前述の学習障害児の教育もまた、個々人の異なる必要性
に柔軟に対応するという理念によって支えられている。(P.107)
<引用終了>
笛さんの、
>「全ての子供はその能力を含め天から授かった(gifted)ものであり、どんな人間も誰ひとりとして同じでない比類のないユニークな能力を持って(gifted)生まれてきた、この世への贈り物(gift)」
というお考えにはまったく同感です。
そして、giftedという語こそ使われませんが、現在日本でも導入されている
特別支援教育や個別教育プログラムの考え方は、こういった個々のニーズに
合わせた教育を模索するものである、とワタシは期待しています。
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