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▼peach peachさん:
丁寧なコメント、ありがとうございます。
お返事遅くなって申し訳ありません。
>障碍あるなし、関係なく、人は皆違っています。
>ですので、他者を完全に理解するという事はありえないのではないか?
>とい前提に立って、人と関わると、不用意に違う事や、受け入れられない事で
>傷付く事が少なくなるように感じます。
>理解しあえない部分があるという前提に立って、人と関わる事で、
>進む理解もあるのではないかと思っています。
おっしゃる通りですね!
「みんなちがって みんないい」というのは、
互いに関わり合おうとしたり理解し合おうという努力を放棄して、
勝手にすればいいという意味ではなく、
いかなる人も存在としてOKということなのでしょうね。
>この記事のお母さんのように、自分の中にない感覚に驚いて、とっさに
>傷付けるような言動をしてしまう事は、私にもあります。
>子供の特性を理解したつもりでも、咄嗟の驚くような子供の言動に
>反射的に、感情的になる事はありました。
>だからって、子供を愛していないというわけではなく、これは理屈では
>どうにも受け止め切れないものなのです。
率直にお話くださって感謝します。
感情的になったからといって、子供を愛していないとは思いませんよ。
反射的に、そう、火の粉を振り払うように反応してしまうのですよね?
実はアスペルガーの子供や大人が、逆ギレとも見えるパニックや、
自傷、他害を示すのも、同じように反射的な行動なのでは?と個人的には
思っています。
お互いさま、なのかもしれませんね。
>私は、完全に子供を理解するというのは不可能だと思っています。
>それでも、理解したいという想いはあります。
「理解したいという想い」は重要ですよね。
ワタシは自分が他者を「理解したいという想い」を自覚すると、
これが世間でいう「愛情」ってヤツかも?、と思います。
>発達障碍というのに捉われすぎず、その子自身をよく見る事が大事だとつくづく思います。
>あまり、こうあるべきとか、こうしなければいけないという思い込みに捉われず、
>一歩引いて、見守れるといいですよね。
>ある意味、子育てに正解はないのですから、自分で悩んで、試行錯誤していくしか
>ないのだと思います。
「一歩引いて」「その子自身をよく見る事が大事」
本当に、そうですね。
以前から、母性愛かわからないけど、子供がかわいそうとか、
感情移入の多い発言をみると、ワタシの中にはそういう感覚がないので
理解できなくて困っていたんです。
なので、定型発達のひとは、同じ母親でも違う感覚、たとえば情動に
基づいて親をしてるのかな?という思い込みがあったように思います。
でも、peach peachさんのおっしゃるように、みなさん、試行錯誤
してるだけなんでしょうね、多分。
>追い込んでしまわないように気をつけます。
>でも、追い込んでしまう立場側も実は、深く傷付いているかもしれない事を
>考えて、欲しいと思います。
>
>相互理解は可能だとは、思いますが、どちからが一方的に理解を迫るのではなく、
>思いやりの心を持って、互いに歩み寄る事が大事のように思えます。
とっさに傷つけてしまう側も、実は深く傷付いているかもしれない、
というのもわかるような気がします。意図しなかったのに、反省しても
謝ってもいったん出た言葉や行為はなかったことにはできませんものね。
「互いに歩み寄る事」ですね。心がけたいと思います。
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