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▼めえめえさん:
>わかりにくいワタシの文章を解読していただき、ありがとうございます。
こちらこそ、めえめえさんの意図を理解するのに
時間がかかってしまいすみません。
>たとえば「先生・親が嫌いだから(問題行動を起こす)」なんてのは、
>ワタシから見れば、指示が明確でない、発達の遅れに見合ってない、
>本人のストレス耐性が低い等、状況分析的な理由探しに噛み砕けると
>思うのだけど、「嫌い」という心理分析的な理由に丸めてしまうと、
>そこから先は対応策が練れなくなってしまうと思うのです。
たしかに「嫌いだから(しょうがない)」でストップしちゃうと
まずいですよね〜。
「嫌い」という言葉の奥に隠されたSOSを読み取ることができれば
いいんでしょうけど…。
>ただ、最初のスレッドでレスした通り、大人については、ワタシは
>「他人は変えられない」というスタンスをとっています。
>それよりは、ルールを破られた側としては、たとえば「ワタシは他者が
>どうあれルールを守る」と自分で自分の態度を再確認し、自分の行動を
>コントロールすることのほうが大事だと思っています。
私は「場合によっては大人も変わることが(たまには)ある」という
気持ちがあるので、そこがめえめえさんとスタンスの違うところなのかも
しれないです。
というよりも、「理由を知る」=「相手のどういう部分は変えられて、
どういう部分は変えられないのかを知る」
ということなのかも。
あと、やはり現実生活では
どうしても相手にルールを守ってもらわなければ困るときがあるので、
とにかくルールを守ってもらえる方法を考えなければいけない、
そのためには相手を知る必要があるかなと思ったりします。
(例えば、根拠をきちんと示せばわかってくれる人なのか、
罰則を設ければ守ってくれる人なのか、
誰か(権威者とか)に強く注意されたら守れる人なのか、など)
ただ、理由を知ったところでこちらのアプローチ方法が
適切でなければ意味がないので、そこは難しいですね。
>ルールを守れない理由を知ることで、その人のことを”諦める”ことが
>より容易になるなら、理由を知ることに意味があるのかもしれません。
それはありますね。
私も母との関係では、こちらのアプローチがなぜ相手に通じないかを
知ったことである意味ラクになりました。
(逆に言えば、母は自分のアプローチがなぜ娘に通じないかを知らないし、
知ることができないんですよね。)
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