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▼めえめえさん:
こんばんは。
KY気味な発言にコメントありがとうございます。
>そうですね。
>「みんなちがって みんないい」という考え方がもっと一般化すれば、
>障害を持つひとに限らず、誰にでも優しい社会になれる気がします。
違って当たり前って思えれば余裕が生まれるような気がしますね。
自分自身のとんがり方に反省の毎日です。
>ひと時代前は、「親のしつけが悪い」「手に負えないわがまま」という風に、
>すべての行動を個人と家族の責任に帰する考え方が一般的でした。
>それを考えると、個人として支援を受けるかどうかとは別として、
>「こうせざるを得ない何らかの器質的な理由を持つ可能性がある」という
>ことが知られてきたことは、ものすごい進歩だと思います。
なるほどです。
0から1はとても大きな一歩かもです。
文化が人に属し、人間の創り出した様々な支援が設定されているそれそのものが文化である。
>発達障害についての知識が広まってきたのは大歓迎です。
>しかし問題は、学校や行政をはじめ、まだまだ「特別」な「支援」の
>ニーズやノウハウばかりが取り沙汰され、個々人の特性や個性を生かす
>というまでには至ってないことだと思います。
私を含めて殆どの人が手探り状態で先に立たれた方のノウハウを勉強することに必死過ぎるのかも知れないですね。
>オールラウンドな平均点を求める、現在の学校、社会では、たとえ定型発達
>であっても、どこか個性を押し殺す部分、無理せざるを得ない部分が
>あるのではないでしょうか。
>将来、たとえば、学校教育や企業において、個別の教育(あるいは自己啓発
>やポジションに関る訓練)プログラムが、全員に対してなんらかの形で
>継続的に組まれたり、コーチングの手法がもっと一般化してきたら、
>「特別」な「支援」を利用したいひとばかりではなく、もうちょっと
>大人も子どもも元気になるのではないかなー、と夢想してます。
良いですねー(空想中です。
今も考え方が狭くてお恥ずかしい限りなんですが、知らないうちに色んな職業とか施設とかがあったことに少しずつ気付き初めて毎日発見の連続です。
学校教育や企業で「無駄」と一蹴されていた分野が開拓されていくと面白い世の中になるんじゃないかな?
と思ったりしてます。
軽い気持ちで使える場所・人・物が日常にありふれてくると良いな、なんて思ったりします。
ありがとうございます。
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