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▼カオルさんへ
>ご意見をありがとうございます。
>そして、フォウさんのお気持ちも解ります。
ありがとうございます。ナマイキなことばっか言って、恥ずかしい限りなんですが...。
>
>
>私は、自分の事を知りたい、納得したいのです。自責をやめたいのです。
>アスペを盾にして、何をやっても許してもらえるなんて、考えてもみませんでした。
カオルさんのリアクションを拝見して、自分も言いすぎたと思っております。この場でお詫び申し上げます。
自分がなぜそのような書き方をしたかというと、自分が中学の時(20年くらい前)はASというような言葉は全くと言っていいほど、知られていませんでした。でも、自分は不登校になったとはいえ、心あるクラスメイトのみんなが手を差し伸べてくれたからです。その時はとてもみんなにも不快な思いをさせたりしましたが、それでも、許してくれたので、できる限りみんなに答えようと必死でやってきました(あまり安定してなかったけど)。その努力の甲斐あってか、一時期、高校のクラスメイトとよく遊びに誘われて、一緒に遊びました。そのときも、難しいところもあったけど、その時のみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな自分だから、ASの診断を受けたら、“今までの努力は何?”と思いました。でも、今はそれを振り切っていこうとやってみたいことを精一杯やっています。
自分がなぜ振り切っていこうとしてるのは、ASであっても、限りなくみんなと遜色ないほど生活・仕事などをやっていけるということをアピールしたいからです。
>ただ、すこしでも、この一つも良いところがない自分を、
>生きる価値がない自分が、ダメな自分が、愛のない自分が、
>少しでも楽ななれるのでは・・・と思って診断を受けたかったのです。
>
>でも、自分でも、本当にアスペと診断されたら、楽になるのか、却って苦しくなるのか、解りません。
>でも、自分を知るために受けてみたいです。
僕はカオルさんがこの掲示板に気持ちを書いてくれただけでも、生きる価値がある人だと思いますよ。自分を知ろうとする人に愛がない人なんていない、と僕は勝手に思ってます。
どういう診断になっても、大丈夫です。パンドラの箱を開けたら、いろんな怪物が飛び出してきたけれども、箱の中には“希望”が残されていたー、という話をよく聞きます。カオルさん、しっかりね!
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