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▼凪さん:
>“アウトプット”が必要だろうと、メモと日記を書く習慣をつけ始めたのですが、
>感情の吐露が出来ず、日々読書をする書籍の情報が脳内に蓄積し便秘状態で、
>いつのまにやら日記が論文調になってしまっていまして…
論文調でも、あるいは読書日記でもいいんじゃないですかね。
ワタシが不定期日記を書き始めたのはずいぶん前だけど、最初はやはり
無味乾燥な状況分析的な文でした。それでも書くことによって
自分にも感情が動いてる(!)ことに気付いたし、
自分が陥りやすい悪循環にも気付いたし、うつの周期もわかったし(爆
その時何を読み何を聞いていたかを振り返るのも役に立ちます。
>ただ、小さな頃からなのですが「あなたならできる」
>という言葉を多くの人からかけられます。
>周りの人からみると、私は努力不足に見えるのでしょうね。
そうかもしれませんねー。
学齢期に勉強ができると、全般的な周囲の期待が高まるようだし、
本人もなんとなく「できる」自己像を築いてたりしませんか。
少なくともワタシはそうでした。
それが、社会に出ると勉強ができてもサッパリ役に立たなくて、
能力の凸凹があると凹面ばかりが目について自己嫌悪…。
でも、周囲の期待に合わせて無理を重ねたり、期待に添えないのを
疚しく思う必要はないんですよね。
凪さんが、ご自分の限界を自覚しギブアップ宣言なさったことは、
新たな自己像の構築が順調に進んでいるということではないでしょうか。
>良い意味で「人はそれほど考えて喋っていない」ということを最近学びました。
それそれ。ワタシも最近ひしひしと感じています。
自然体でいて楽に生きられるのはうらやましいな、と思うけど、
グチャグチャ悩みグルグル思考する自分が今はそれほど嫌いではないです。
>ただ「それよく分かるよ」などという方を見かける時があるのですが、
>あれが礼儀というか社交辞令というか、そういう暗黙の了解なのか、
>本当に理解できているのか、いまいち理解できないのがゾクゾクします。
本当に理解できてなくても、理解したい、共感したいという気持ちが
なければそういう発言にはならないと思うので、相手のその気持ちだけ
ありがたく受け取っておけばいい、とワタシは思います。
>「自分の意志を押し殺すな」
>臨床心理士さんからのアドバイスです。
いいアドバイスですね。
自分の意志を自覚し、いかにそれを表現するか、が大切ですよね。
>書いて下さっているような心境になることが出来たのが2年ほど前
ちゃんとそう読み取れましたよ。ダイジョブ。
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