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帰宅後、夕刊を読んでいてショックな記事を見つけた。昨年に北海道で起きた殺人事件の犯人(当時15歳の男子高校生)が、精神鑑定の結果アスペルガーであったとのことだった。事件についてはうろ覚えだったが、何より記事を読んだ途端、涙が出そうになった。すぐそばに実姉がいたので(姉にはカミングアウトしていないので)、こらえるのに必死だった。
殺人は、許すべからざる犯罪であるのは言うまでもないが、その様な行動に走らざるを得ない何かが彼のこれまでの人生にあったのか、そのとき、何かを抑えきれずに最悪の犯罪行為に至ってしまった彼の身の上を思うとやりきれない。
彼の同級生であるという、被害者の遺族にとっても、どうにもやりきれない、容易には受け止めがたい話だろう。正直、AS当事者の一人として、もし眼前に遺族が現れたら何と言えばいいかわからない。
その日私は、気が向いたのでたまたまニキさんと藤家さんの対談本を帰りの電車の中で読んでいたばかりだった。この本を読む度に勇気づけられるのだが、そういう明るい気持ちがものの見事に吹き飛んでしまった。
閑話休題。別の事件のときもそうだったようだが、加害者が当事者だったりすると、とかくその部分だけが強調されているような気がする。発達障害が一般に認知度が低いところへもってきて、事件が起こったときだけ「アスペルガー」の文字がバーンと出るのだ。これでは古典的心理学だか優生学じゃないけど、アスペ=犯罪者予備軍みたいにみられてしまう恐れが大きいんじゃないかと思う。どう思われますか?又、この様な場合、我々当事者自身が何か出来ることってないんだろうか?
何かうまい問題提起になってなくてごめんなさい。とにかく記事を読んでショックだったんで、いろいろ討論とかして、参考意見とか聞かせてください。
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