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fuwafuwaさんへ
このテーマにとても共感と興味を抱いたので、書かせていただきます。
そして、めえめえさんのアドバイスは、とても解りやすく、私個人にもありがたかったです。
ASの男性友人が「ごめん」の一言が言えないためのトラブルがあったからです。
友人はすでに40代ですが、挨拶とか謝罪が言えなくて、よく傲慢な人と誤解されます。
fuwahuwaさんのコメントを機に、友人に改めて聞いてみました。
「謝罪については、とにかく自分の概念に無い感覚なので、思いつかないんですよ」
「思いつかない? テーブルのコップをひっくり返して相手に水が流れ服を濡らしたときも、とっさに、あ、申し訳ないとは、感じなかったということ?」
「そうですね。説明されると、確かに申し訳ないにたどり着くんだけど、その時は、水がこぼれた→拭かなくてはいけない・・までですね」
「じゃ、説明されたときに謝ろうとは思わないの?」
「説明されたら、理解しますよね。理解したということは反論の余地がなく納得できたということですから、それで良いのではないんですか? それでもまだ謝れと言うのは抵抗がありますね」
「ふぅん・・・じゃ、挨拶は?」
「挨拶の意味になんだか納得がいかないんですよ。質問や返答なら必要性があるけど、そもそもあの挨拶って特別必要性があるんですか ? 。僕にとっては、したければすれば ? というほどのことで、強制されると違和感があるんですよ。文化に挨拶が無い国ってないのかなぁ」
「そっかぁ・・・挨拶に違和感ねぇ」
もともと彼は仕事上の同業者で、個人作業はとても優秀だったのですが、営業に配属されたとたんトラブル続出で退職。
でも、いつもにこやかでフレンドリーな雰囲気があるので、友人はたくさん居ますし、家族や友人関係でまかなえるうちは良かった・・というか、周囲も気にしなかったのです。
40代になって失職してからの診断でしたから、彼は「もっと早く自分のことを知っていれば、仕事に関しても自分の適性で出来る職種を自覚し、自分の適性のテリトリーを守ることが出来ただろうに」と、悔しがっていました。
若いうちからのソーシャルスキルの学びは、大人になってからよりずっと有効でしょうし、職業の選択にも無理の無い指針ができると思いました。
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