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手毬さんへ
非常にご丁寧にお返事頂いて、有難うございます。
>はじめまして。中年にさしかかる当事者の女です。自分の10代20代は、世間の求める「女らしさ」に強い違和感を感じてきました。今現在、夫と子供がいますが、やはり、ある種の違和感が無くなったわけではありません。3人以上の集りの中では、そこでの対応に疲れやすくなります。
やはり皆さんも『女性らしさ(男性らしさ)』を求められる事に不快感を感じているのですね。この歳にして今までの人生の謎が解けました。
私も3人以上の雑談になると、途中から話についていけなくなり『話を聞いていない人』のレッテルを貼られがちになってしまいます。当の本人は話を聞きたい訳なのですが・・。
> 当時の私の場合、かいつまんで言うと、女らしさには、暗黙の同調圧力に対する、高度な適応が求められているように感じ、建前では、「女<男」と、男性を自分たちよりも有能な存在として、彼らに対しての引き立て役であることが求められることに、強い嫌悪感を感じていた時期も少なからずありました。
いくら欧米文化が浸透してきている現代と言っても、特に日本という『和』を尊び、且つ『男尊女卑』が未だに根深い国でASが生きる事は、特に女性のAS当事者にとって、やはり難しい事なのだと思い知らされます。
>それはあくまで、私個人の感覚ですが、自分で「女の子」と自覚することに対して、世間の求める「女の子や女らしさ」に大きな隔たりがあることに気付き、自分の求める「女らしさ」が、いわゆるフェミニズムに近いものに近いと思いつつも、悪いのは、女性を下に見るある種の男達であって、男性全体を敵対視したいわけでもなく、実際そういった女性達が、新しい女らしさという同調圧力をかけているようにも思い、彼女たちの言い分は、結局、女性を下に見る結果になっているのかと、堂々巡りになってしまいます。
>「女性」と一括りにされることは、濡れ衣の同調圧力、もしくは、欲しくもない賞賛の押しつけとしか思えません。(個人の感想ですので、不快を感じた方、すみません。)女の体で生活しているだけで、言葉からして、暗に人間としての扱いを受けていない、という怒りを感じる一方で、女としてまともな存在ではない、との矛盾に苦しみました。(この思い切りの悪さが、子供っぽいといわれる所以とは十分承知していますが、中年になってから薄らいだようです。)
『フェミニズム』に関する書物は未だ読んだことはありませんでしたが、なるほど、だいたいの流れが掴めた気がします。
つまり、『フェミニズム』に近い感情をASの女性は抱きがちだけれど、
『真のフェミニズム』とは『男性全般』に対するものであり、
『ASの女性がもつフェミニズム』とは『一部の男性』に
対するものである点で異なり、
『真のフェミニズム』自体が男尊女卑社会に拍車をかけるキッカケにも成り得て本末転倒であり、しかも困ったことに、当のASの女性は『フェミニズム』の感情に似て非なるものが故に『真のフェミニズム』の濡れ衣を着せられてしまうということですね。(解釈が間違っていたらすみません)
私も女性として一括りにされる事は嫌ですが、だからと言ってフェミニズムと一緒にされる事も嫌ですね。そして、手毬さんのおっしゃる様に、はたして自分を正確な(まともな)女性としてみて言える事なのかも疑問を持つ所ですね。
その点から考えて、物事を思ったようにハッキリいう事への美徳と、レディーファーストの社会である欧米に定住する事を考えると移住する事に魅力を感じますが、日本人が想像している以上の黄色人種差別もあるので(海外に何年か住んでたのでわかります)踏み留まってしまいますね。
>私の場合は、自分で自覚する「女の子」であることと、世間で言われる「女の子」扱われ方に、大きなギャップを感じてきて、女子特有の数人でグループを組んで行動したり、恋愛がらみや、誰かのうわさ話で、いつもつながっていることが、苦痛で、それで、中学時代、当時としては、青天の霹靂でしかない、仲間はずれに遭い、グループにこだわらない、多くの男子が羨ましく見えました。
私の書き方が少し足りないようでしたね。私も大きなギャップに未だに悩んでいる感じです。女子生徒特有の放課後にクラスに残って雑談していく意味が分からなくやはりずっと浮いていました。そういった点で何度も男になりたいとは思いました。
>私の場合、飼い猫が亡くなったときは、ダイレクトに悲しくて、小さな子供のように泣くじゃくり、家の建て替えと重なって、しばらくして幻聴におそわれたことがありました。その後に母が亡くなったとき、そして、結婚し、子供が生れたときに、自分の感情が分からなくてガラス一枚隔てた感覚になりましたが、ふとした拍子に、悲しい、嬉しい、困る、憎いなどの感情が出てきたりします。マイナスの感情を持たないように、とロボットのように考えられることが救いだったりします。
私も同じように、共感できる事と、できない事の差が割とハッキリしているようです。その共感も恐らく、一般の人の共感とは異なる様な気がしますが。
手毬さんの『マイナスの感情を持たないように、とロボットのように考えられる』と似ていると思う事で、私は悲しくて仕様が無く考えるだけで涙が止まらない様な事でも、その事を考えるのを止めて違う事を考えると涙がボツッと不思議なくらい止まったり、泣いている時に他の事を言われて話に集中すると、涙が急に止まったりしてしまいます。その点では、確かに気持ちの切り替えが早かったりします(苦笑)
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