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ふうさん、はじめまして
六華と申します。
主治医に発達障害の可能性を指摘されている女性です。
とてもお疲れのようですね。
>キャリアのある仕事を辞めて子供のためにつくしてきたつもりでした。
>食事はたまの外食以外は必ず手作り、服を作ってあげて、自分と
>おそろいにしたり、先生によくしてもらおうと幼稚園の役員をしてみたり、
>とにかく子供に
>愛情を注ごうと努力してきたつもりでしたが、一気にそれがくずれさった
>かのようです。
私自身は、ややネグレクトの家庭に育ち、食事はつくってもらえない(冷凍食品やラーメン)、手作りの服どころか洗濯もあまりしてもらえない、下着も買ってもらえない(姉のお下がり)ような家庭で育ちましたので、羨ましい限りです。
ふうさんはふうさんなりに、一生懸命やってこられたことと思います。
「お母さんはいらない」の言葉は、さぞお辛かったことでしょう。
ただ、一生懸命のベクトルの方向が違うのではないかなと感じました。
もしかしたら、定型児に接するのと同じ感覚で子育てをされていませんか。
人から何かしてもらったときなど、仮に希望していないことをされたとしても、定型者ならば一般的に、「相手が自分のためにやってくれた」ということ自体を喜んだり、感謝します。
でも、自閉者は想像力が欠けていますから、相手の心情を理解できず、喜ぶどころか望んでいないことをされるのは迷惑だと感じることも少なくありません。
成人でもそうですから、ましてや小さな子どもは、です。
お子さんにとって母親の愛情表現というのは、後天的に学習しなくては理解できない感情なのではないかと思います。
もうひとつ気になったのは、ふうさんが「完璧な母親」を目指されているのではないかということです。
>キャリアのある仕事を辞めて子供のためにつくしてきたつもりでした。
>誰からも優秀だといわれて来た自分でしたが、
>アスペの夫に似た発達障害児を生んでしまい、
>むなしい気分でいっぱいです。
>そして、誰もが羨望するような出来のいい子が生みたいという
>欲求がでてきています。
言葉の節々に、プライドの高さのようなものを感じます。
優秀な自分に似た子どもがほしかったのに、夫に似た発達障害児を生んで、貧乏くじを引いた…そんなお気持ちを持たれていて、お子さんにも伝わってしまうのではないでしょうか。
もっと手の掛からない子どもがほしかったというのは本音でしょうし、心が疲れていて、そのような感情を抱かれるのも仕方ないことです。
でも、「出来のいい子」を求めてしまうのは、お子さんの障害とは関係のない、ふうさん自身の問題ではないかと。
どんな親御さんでも、自分の子に何か優れたところがあれば、喜ぶでしょうが、たとえ優れていなくても、「この子なりによさがある」「こんなところが可愛い」と、その子自身を見つめるものだと思います。
そこを、「誰もが羨望するような」などという他者による評価を求めてしまうのは、「誰からも優秀といわれるように頑張ってきた」ご自身の生き方を、お子さんにも求めているからではないでしょうか。
それではふうさんも、お子さんも疲れてしまうと思いますよ。
発達障害児といえども、成長はします。
ただ、スタート地点が違うだけなんです。
お子さんはまだ3歳。
他の子どもと比較するより、もっと肩の力を抜いて、長い目で成長を見守ってあげた方がいいと思います。
お子さんに必要なのは、優秀で完璧な母親ではなく、障害特性を理解して今の自分を受け止め、共に歩んでくれる母親なのではないではないかと感じました。
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