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ヒゲ達磨さん
はじめまして、こんにちは。
レスありがとうございます。
小6の長男はまだ診断等はありませんが、こちらに悩みを投稿させていただいています。
いろいろなご意見をいただき参考にさせていただいています。
>6年生のご長男さんには、タイムさんの>心の中では特に母親の元気がなくなる事が一番気がかりでした<といった心根を感じられますか?
正直・・・感じられないかもしれません。
>こういった長男さん「はるかママさんへの気遣い」と長男さんのその時の欲求「本屋へ行きたい」を、彼の中で天秤にかけさせて、どちらを優先するのか決めさせるとか、タイムさんのいう>お子さんは「本がほしかった」のか「本屋に行きたかった」のか<といった彼への投げ返しが必要なのではないでしょうか。
これに関しては、タイムさんにも返信していますが、「本がほしかった」のです。
あの子とはかなり話し合い?(実は言い合いなんです)をしますので・・・。
ただ、この今までの「話し合い」が、あの子には伝わりにくかったのではと思っています。
>はるかママさんの「本屋へ行きたい」への返答を見ますと、ただそれだけを材料に見ますと、ご長男の「本屋へ行きたい」の背後にある気持ちをはるかママさんが受け止めていることが長男の方に伝わっていないように思います。
そうですね。伝わっていないと思います。それは、私がきちんと理解できていなかったためだと、タイムさんとお話をさせていただいて思いました。
>私が想像するに、私の様に二人の弟さんの面倒を下校してから見ているならお母さんに甘えたい気持ち、大事にされたい気持ちが生じて、それが背後にあって「本屋へ行きたい」とか「自転車のパンク修理をしてきて」という欲求、大事にされていることの証が欲しい言葉、欲求かもしれません。
下二人は学童保育に行っています。小6の子は、私たちが帰って来るまで友だちと遊んでいたり、ひとりだったりとまちまちですが、寂しさはあると思います。友人関係も良好とは言えないと思います。小5の時は不登校にもなりましたし、学校がストレスになっていた時もあったと思います。
>そうした長男の方の気持ちを、はるかママさんが受け止めている、注目していることが書き込みには言葉として顕れていません。はるかママさんは、大概の定型の方のように表情や声音といった非言語系でその点を発信されていると思いますが、それではASには伝わりません。まず、言葉です。横から見ていますと、定型の方は表情や声音といった非言語系で受発信の比重が高いと思いますが、ASに対してはまず言葉、それに表情や声音を添える感じの方が上手く伝わると思います。
「本屋の件」は子供の発言に対しての質問だったので、詳しく書き込みもしていませんでしたが、私自身がまだあの子の特徴を理解していなくて、模索中なんです。
言葉にするというのは必要だと思います。最近は特に私の気持ちを具体的に言葉にするように心掛けてはいます。
>はるかママさんが、ご長男の気持ちが分からなければ、それこそ、彼の気持ちを尋ねてはいかがですか?
よく彼は「わからない」と答えます。
不登校だった時も、「学校行く?お休みする?」の答えが「わからない」でした。
あの頃は私も必死でしたので、深く考える余裕もありませんでしたが、今振り返ってみて思うことは、あの子自身もホントにわからなかったのだろうなと私は思うのですが・・・。
>>必要だったのは、今から振り返るととことん話を聞いてくれる存在<とタイムさんは、書き込まれていますが、ご長男も同じではないでしょうか?彼の気持ちを尋ねることは、まさに、彼の話を聞こうという姿勢を示すことです。それは1.彼に自分の中の幾つかの気持ち、欲求の自覚を促すことでもあります。
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>その上で、彼の気持ちを十分に受け止めた上で、はるかママさんの、長男さんの「欲求はかなえてあげたいが、二人の弟さんのこともあるから、疲れるので、嫌だ」という気持ち伝えてはいかがでしょうか?肝心なのは、欲求をかなえて上げられない理由ではなく、気持ちを言葉で伝えることだと思います。
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>理由には反論できますが、気持ちは受け止めるしかありません。ご長男は、自分の気持ちをはるかママに受け止められた上で、叶えてあげたいというママの気持ちと、疲れるので嫌だという気持ちを受け止めるしかありません。それは、2.自分の本屋へ行きたいに籠められた気持ちとママを疲れさせ、元気をなくすことへの自分の気持ちなどの、それらのうちどれを優先するのかという気持ちの出し入れ、自己決定、をして、3.それに従って、その欲求を実現するために他者との関わりながらどんな行動を取るかということを促すことになると思います。
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>彼のその時の欲求「本屋へ行きたい」を適えることだけが親としての務めでしょうか?それが出来るときと、出来ないときがあります。
>>必要だったのは、今から振り返るととことん話を聞いてくれる存在<であることの方が、そう言う存在でありたいという姿勢を示すことが、もっと重要ではないでしょうか。定型の方は非言語系のやり取りでの共感、情緒的共感での一体感で、この自己承認欲求、他者から自己を肯定的に認められたい欲求が満たされるようですが、ASは非言語系のやり取りは不得手ですから、言葉による、つまりととことん話を聞いてもらうこと、少なくともそういう姿勢で短時間でも向き合ってもらうことで満たされるのだと感じています。
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>「何で?」は、理由を尋ねるだけでなくて「何で(私の気持ちをわかろうとしないの、聞いてくれないの)?」というのも含まれていると思います。
ASと言ってもいろんなパターンがあると思いますが、気持ちの受け止めを要求の受け止めというふうにはとらえないものなのでしょうか。
私は、言葉だからこそ難しいなと感じているんです。どうでしょうか?
「何で?」には、確かに「私の気持ちをわかろうとしないの、聞いてくれないの」が含まれていると思いますよ・・・。
上手く説明できていないかもしれませんが・・・。
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