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私は、定型発達のいう「共感」だけが気持ちの受け入れとは思いません。
うちの子などもそうですが、内言語(頭の中で思考のために用いる言語)の
発達に遅れがある場合があります。そうすると、体感的に何かしらの不快感
をおぼえていても、言葉で「〇〇がいやなんだ」「本当は××したい」
といったフラストレーションが表出できない(表現を知らない)ため、
自分の本当の要求(気持ち)に気付きにくいのです。
お子さんの例でいうと、「本を買いたい」が本当の気持ちではなく、
「友だちに嘘つきと思われたくない」とか、「11月にプレゼントがほしい」
ではなく、「親は子の要求を満たして一刻も早くくれるべきだ」ですよね?
そこを受け止めてやらないと、「じゃあ」「じゃあ」と次々要求を重ねて
いくしかなく、お子さんが本当には”納得”しないと思うのです。
はるかママさんは、本の場合、よく話を聞いて「友だちに約束したから」
という部分を聞き出してらっしゃると思います。
だから、プレゼントに関しても、「早くほしいんだね」と”わかってるよ”
というサインをいったん出すことが、気持ちを受け入れるということ
ではないでしょうか。
これでしたら、「11月じゃなんでいけないの」「だって、…云々」
という”説得”や”取り引き”に発展しなくても、会話はできます。
(11月にほしいというのは勝手な言い分ですから、きく必要はありません)
「なんで11月じゃいけないの、ブツブツ」
「早くほしいんだね」
「当たり前やん、どうせ数日後にはくれるのに、ブツブツ」
「一日でも早くほしいんだ」
「そう!」
これで気持ちの受け入れになっていませんか?
もうひとつ、これは私自身の例ですが、中学時代にどうしてもほしかった
ものがあり、ずっと親にねだり続けていました。高校に入って、親が
かなり無理をして与えてくれたとき、私が親に感謝したかというと、実は
「ラッキー♪」「やっと親が譲歩した」と思っただけでした。
親に感謝すべきだということは頭ではわかりましたが、親がどれだけ
我慢して無理してくれたか、そのときは本当には理解しませんでしたから、
その後も、感謝したから我慢する、自分が譲歩するという方向にはいかず、
次々と無理を重ねさせていきました。
親の我慢や無理を「汲み取って」我慢する、ということを期待されても、
私のような子には通用しません。「汲み取る」こと自体が苦手なのだから。
ですから今になってみると、親はこんな私のためにあれこれ無理しなくて
もよかったのに、とひたすら心苦しいです。
親は、親なりの方法で愛情を注いでくれていたのに、言語や文化が
違う外国人のような私には、まったく親の気持ちを「察して」受け入れる
ことができなかったのでした。
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