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三柴さんへ
定型・女性です。
私も過去「ASの方は・・」という書き方をして注意をされた一人です。
この「ひとくくりにする」表現に、反発を感じるか感じないかは、人それぞれで内容にもよると思いますが、ひとくくりの表現は日常茶飯事で、一般的表現の範疇だとも言えましょう。
「日本人は」「今の若者は」「都会の人は」「大正生まれの人は」「公務員は」「政治家は」「マスコミは」「専業主婦は」「更年期障害の人は」・・・日常会話のひとくくり表現の延長線上で「ASの人は」と言ってしまっていた事があります。
私は、一人っ子なのですが、今まで「一人っ子だから・・・なのだ」と断定されてきた事もあります。それを偏見と感じて反発していた年頃もあったのですが、今は「一人っ子は」と言われる事に対して「一人っ子のイメージにそういう点があるのだ」と受け止めることが出来ます。
自分自身には当てはまらないが、多くの人にはそう見られている事実。
そのことを受け入れるには、客観性が必要だと思うのです。
もっと言えば多角性です。
「自分は違う、そうは思われたく無い」という感情の他に「ふぅん。そういう印象があるんだなぁ」「そういうふうに見られてるんだなぁ」と思える余裕と言いますか、ゆとりと言いますか・・。
三柴さんは、感性にそういう受け皿がある。という事ではないでしょうか。
>皆様レスありがとうございました。
>私が未熟でしかも人のことは言えないのに「ASはこうだ」と断定的発言をしていて私に至らない部分があったのはよくわかりました。
>ここで終わりにするべきなのかもしれませんがどうしても気になることがあるのでお聞きします。
>本当はいろいろと教えていただいたばかりでこういう書き込みをしないほうがいいのかもしれませんがどうしても気になることがあります。
>レスの中にあったように「ASの人はこういう特徴がある」という「団塊の世代は」のようなひとくくりにした言い方は見下し目線に繋がる恐れがあります。
>ただどうしてもASの人の場合、定型の人以上にそういう言い方にものすごく敏感な気がします。そして「私はこういう特徴があるから気をつけよう」という言い方をしてしまうと、本当は「ASの人の特徴だから」という意味を込めて書いても「私だけの特徴」ということにされてしまい、気が付いてもらえないことが多々あります。「自分も気をつけよう」という発想が湧かない当事者も多いと感じてます。
>もちろんそれは私のボキャブラリーの少なさに問題があることも多いです。
>「だから何だ?自分で気をつければいいじゃないか。人のことなど関係ない」
>という意見もあるかもしれません。
>そう言われてしまったら返す言葉がないのですが…。
>すみません。どうしてもまとまりません。
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