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debussywebernさんへ
初めまして。定型・女性です。
私は日頃、アスペルガーやADHDの友人、知人と接していて
徹さんの「周囲からの印象や判断に寄る」というご意見と、白胡椒さんの「全体のバランスにより印象が変わる」というご意見に共感します。
可愛い我が子が障害を持っている親は「個性としてとらえて欲しい」と思うことも多いでしょうし、障害を受容し日々努力や工夫をしている人に対して「個性としてとらえよう」という周囲の好意が生まれることもあります。
コミュニケーションには難ありでも、職場や周囲に貢献できる能力を持っていれば、職人肌や天才肌として「ちょっと変ってるタイプの人」と見られることもあると思います。
私は専門医に「周囲に障害ではないと誤解される障害。本人に自覚が出来にくい障害・・なので本人も周囲も気づかぬうちに人生のピンチに陥ることがある・・・だからこそ周囲の理解と通訳が必要な障害」と説明を受けました。
友人の1人で、会話する度に「この人、絶対アスペルガー」と感じる人が居ました。本人も「自分はアスペルガーだと思う」と検査や受診を重ねましたが、どれも結果はど真ん中の定型範疇でした。
定型者はその障害に似た多種のグレーゾーンを持ちながら、他の機能のカバーやバランスで、困ったら適時にSOSを出せたり、他者の困り具合を察して言葉や行動で助けてあげたりして、適時適応なコミュニケーションを維持しながら生活しているもの・・とすれば、それが困難な障害を「個性」と勘違いすることは、障害を持つその人に逆偏見を持つことになるのではと思います。
「障害は個性である」という言葉は、その障害を知り抜き、支援や交流や同居での苦労や疲弊を乗り越えて達観した人が発してこそ説得力がある言葉だと思います。
>アスペルガー症候群やADHD等、精神遅滞を伴わない発達障害について「障害は個性である」という主張がある。
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>はたして、本当にそうなのだろうか?
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>例えば、アスペルガーやADHDと同じ意味に於いて、ダウン症や小児麻痺や血友病も個性と言えるのだろうか?
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>発達障害が、遺伝性の脳の中枢神経系の機能障害とするならば、それらの疾患は歴とした障害であり、個性等とは到底言えないのではないか?
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>それらの疾患の症状が個性ならば、治療など必要ないし、そもそも病院や医師とは無縁のものだろう。
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>最近、芸術家や科学者でエキセントリックな人達を、誰でも彼でもアスペルガーやADHD呼ばわりする風潮があるが、それは違うのではないか?(無論、その中にはどう考えてもアスペルガーとしか考えられない人たちも何人かは存在しているが)
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>それらの人たちを自閉症スペクトラムの中に位置づけるのなら、あくまでも、彼らの中に三つ組の障害が存在するのか、或いは、していたのかを厳密に確かめる必要があるだろう。
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>脳機能に何の異常も持っていない健常者の中にもエキセントリックな人などゴロゴロいるのであって、むしろ、そういう人たちこそ個性的と呼ぶべきではないのか?(彼らは、三つ組の障害等とは無縁であるばかりか、むしろ非常に社会性に長けていたり、興味の対象が驚くほど広範囲に及ぶ場合があり、自閉性とは正反対である)
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>つまり、どう考えても発達障害は、個性などと呼ばれるものではなく、血友病や小児麻痺やダウン症とまったく同じ障害の一つであり、一見して誰にでも目に見えてわかる障害ではないという事だけなのではないのか?
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>皆さんは、「発達障害は一つの個性」だと思いますか?
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>当方の意見が誤っているとお考えの方、どうかズバズバと批判して下さい。
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>反論、批判、異なった意見、どうかご遠慮なさらずに、なんでもお気軽にお書き込み下さい。
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