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▼mementoさん:
こんばんは。レスポンスありがとうございます。
実は、私の当初の趣旨とはだいぶかけ離れた話題になってきているのですが、
これはこれでとても参考になりますので、私側を具体的に拓いてみます。
>例えば今のようなこごえる冬の夜、どしゃぶりの中を歩くのも億劫に感じられないでしょうか?
感じないんですね、これが。
何に対して喜びや楽しみを感じるか、という観点の違いと言いますか、快と不快のツボのズレと言いますか、「こごえる冬の夜」も「どしゃぶり」もそれほど重要なファクターではないと言うことでもあります。
車に乗る<歩く(に快楽を感じる) この法則は前提条件だったりします。
そして「こごえる冬の夜」も「どしゃぶり」も好きだったりもします。
だってそれが自然ですもの。
そういった副次的産物も楽しんで歩いている、というのもありますし、車に乗るのってしんどいよ、というのもあったり。
>ある程度興味のあるその方と、何故お付き合いの関係が発展していかなかったのかお聞きしてもよろしいでしょうか。大体断った結果、相手から離れていかれたのでしょうか?それともそういったものには全く興味がなかったということでしょうか?
お聞きになりたいところはここなんだろうな、と勝手に感じていたりしますので、少しほじくります。
お付き合いの関係に発展したケースもあります。私の中ではレアケースですが。
相手から離れていかれたケースのほうが多いでしょうね。私は単純に「誘いの内容」に興味がないからお断りしただけで、お相手に対する興味とはまた別問題だと認識していますので、その時点で解釈が異なっていたりします。
ただお相手がどう思われても、私は私ですので、その思いは自由意志だと思っていますし、離れていってそれで良かったのかな?とも思います。
>運転せず外を歩いて通勤して花粉等のアレルギーをキャッチしやすいものですから
アレルギーのテーマと運転のテーマが繋がるということに、実は不思議さを感じています。矛盾してるのでは?と思われるのかな、と思う節もなくはないのですが、花粉やインフルエンザとは無縁ですし、歩くor運転の選択との関連性は全く別の問題だと認識しています。
>徹底的とはいえないですかね。
私の場合、自分自身が納得できるラインまではやります。
ただ、他人目線で徹底的かとか、評価の対象になるようなものなのかは、全く持って分かりません。
>興味の幅は周りの友人・同僚と比べると多めに趣味があると思います。
この部分は個人的にとても気になります。
『他人と比較する』という尺度は持ち合わせていません。
>難しいですね。興味のある事柄に関しては延々と話す事ができるのであれば、
興味のある事柄に対して無制限に時間を与えて貰えるなら、一生そのことだけをし続けることは喜びですし、当然相手が「いい加減やめてくれ」というまで話たいですが、だいたい「もうそろそろ面白くなくなってきた、というかウザイ」という空気を出してくれますので、大概の場面では自分から長々とは喋らないかも知れませんね。
と言いながら、こうやって結構な文章を書いているのは、mementoさんのお人柄がそうさせて下さっているという面が大きいのでしょうね。
というところが、私から言える「とある彼」との関係に関するヒントなのかも知れません。
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