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初めまして。
▼mikityさん:
>私は、お医者さん(精神科医)にADHD+ASでほぼ間違いないのでは?
>といわれています。その先生は専門家ではないので正式な診断は
>できないそうですが、本を読むように薦められて両方の本を何冊か
>読んでみました。両方とも当てはまることがかなりあるので、その
>とおりなのかな?と思っています。
私は精神科の医師であれば誰でも正式な診断が出せるものだとばかり思っていましたが、一概にそうとも言えないのでしょうかね?
>今(というかずっと?)ASに関することで困っていることは、とに
>かく人の思いが解らないことです。言っていることと思っているこ
>とが違う、どこまでが親切でどこからがおせっかいなのか、日によっ
>て言うことが違う人の本心は・・・・。きりがないです(T.T)
私のような常連参加者でも難しい問題ですね。何年たっても一向に解決の見通しが立ちません。
いじめの被害経験が原因で、他人の親切心にも常に下心が見え隠れしているように感じますし、他人に親切にして恩をあだで返されたことも多く、自分自身もどこまで親切にするのが妥当なのか、見極めがつきません。
しかし「情けは人の為ならず」、「人に優しく」をモットーとして(時にお節介だが)生きている私としては、いざというときに他の常連の方々が親切にしてくれるのがまたありがたく感じ、ますます恩に報いなければならないな、と感じます。
我々はどうしても言葉の裏側を捉えることが困難ですが、ある意味ではこれが相手の感情を探る上での物差しになるのではないのかな、というように感じることがあります。思ったことがストレートに表に出てしまうので、疎まれることは確かに多いです。しかしその日その時で感情を言葉巧みにごまかすことができないため、言葉巧みに長年付き合ってからボロが出て幻滅、というときほどショックは感じないのではないのかな、と私は思い込んでいますが。
>小さいころは、大人になれば人の気持ちがわかるようになるものだ
>と思っていたのですが、どうもそうではないらしいと気づいてから
>はひたすらデータを蓄積する日々でした。他の人もきっとそうに違
>いないと思いながら。
他人の行動や心理状態を観察する、というのは非常に大切なことだと思います。
蓄積したデータが今後役立つといいですね。
>ASを知ってから、時々自分でも訳がわからず泣き出してしますのは
>パニックを起こしているせいなのかな?と思うようになりました。
やはりパニックがすべてではないでしょうが、パニックが起きると感情のコントロールさえできないことがあります。私の場合はパニック状態になると何でもないことにまで怒るようになってしまい、ひどいときには電車やバスが定刻に来ないだけで運転手を責めたくなることもあります。(もちろん運転手の責任でないことは解っていますが)
思考回路がめちゃくちゃになった影響が、感情を司るところにも及ぶのでしょうかね?
>無理やりにでもテンション高く保っておかないと、本当に全てに興
>味がなくなるんですが、これがまた誤解の元だったりするので困っ
>たなぁとも思っています。
無気力状態よりはいいんじゃないの? でも張り切りすぎてストレスの原因にならないように、時々気分転換を図ることは重要だと思います。たとえ学生でも、起きている間勉強ばかりよりも、時々気分転換を図ったほうがむしろ能率はよくなります。
私も北海道を離れて茨城に進出して4ヵ月半、でもがむしゃらにしていてもただ疲れるだけだと解っていたので、気分転換はまめに行っていました。
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