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背景・経過
米国では、91年の湾岸戦争の帰還兵に有機リン中毒が多く、野営地にまいた殺虫剤などが疑われました。このため政府主導で有機リン中毒の研究が進み、有機リン系殺虫剤の規制の見直しが行われました。
また1980年頃から、子どもの鉛や水銀曝露、学校環境におけるアスベスト対策など、環境中の化学物質が子どもに与える影響に対し社会の関心が向けられていました。そして1993 年に米国科学アカデミーが報告書Pesticides in food of infant and children(子どもの食物中の殺虫剤)において、子どもの脆弱性を考慮した農薬安全基準設定の必要性を勧告しました。
それらが1996年8月に制定された食品品質保護法(FQPA)では、同じ作用性の農薬はまとめて評価を行うことや子供等には厳しく成人の10分の1の基準値を設けることが導入されています。その新たな視点での再評価は、有機りん系、カーバメート系薬剤から始まりました。両剤とも、神経毒。運動神経や交感神経などで、神経末端のシナプスの伝達物質にアセチルコリンを利用するコリン作動性神経で毒として働く。神経の末端から分泌されたアセチルコリンが他の神経細胞や筋肉などにたどり着きます。それを受けとめる受容体が、神経細胞などからとび出しています。その受容体と結合すると、神経細胞や筋肉細胞に刺激が伝わり、指が曲がったり、心臓が拡がって血液がとり込まれたり、唾液が分泌されたりします。その後コリンエステラーゼという酵素によって、アセチルコリンは分解され、刺激は解除されます。
ところが有機リンは酵素によって酸化されると、カーバメート系はそのままでコリンエステラーゼと結合してしまいます。それで受容体についたアセチルコリンは分解されなくなります。刺激が解除されず、神経細胞や筋肉などは興奮が持続します。つまり、過剰刺激状態になってしまい、神経伝達が正常に働かなくなります。
このコリン作動性神経は昆虫(害虫)も持っているし、哺乳類(人)もあります。ただ、昆虫と哺乳類では解毒能力の違いから、そうした神経毒性を表す量が違います。昆虫には、有機リンが酸化し毒性が顕われる前に分解・無害化する酵素の働きが弱く、人間など温血動物では活性が高いのです。つまり害虫が神経伝達が正常に働かなくなり死んでしまう濃度、摂取量でも、人間では酵素がほとんど分解するために死なないという選択毒性があり、殺虫剤として多種類開発され広く使われるようになりました。
米国で知能的な発育が遅れた子供の施設に有機リン剤(クロルピリホス)を使うと、知能テストのような検査では分からないが、高度なメンタルテストで発見される知能の発育の際立った遅れ・異常を見つけた研究が公表されています。米国で1998年から大気汚染、タバコ、アレルゲンや殺虫剤に暴露される妊婦の健康状態を多年度に渡って調査する研究計画が実施されていて、2004年3月25日に公表されたその結果では、子宮にいる時に大量の殺虫剤に曝された新生児は体重不足になる、平均で約170g(6オンス)軽いことが判りました。これは、タバコの喫煙の影響よりも大きいのです。
農村部などより高いレベルの有機リン系剤汚染にさらされた子どもたちに焦点をあてた疫学的研究が行われ、そうした高いレベルでは、出生前の(つまり胎内での)曝露によって、広汎性発達障害、2〜3歳時点での知的な発達の遅れがあらわれるリスクが増える。出生後の曝露では、問題行動、短期記憶や運動能力の低下、反応速度の遅れを伴なうなどの結果が得られました。
有機リン系殺虫剤の中毒では、不安、興奮、集中力欠如、持続力欠如、多動といった中枢神経性の中毒症状が、コリンエステラーゼ阻害によっておきます。こうした行動症状はADHDに共通するので、コリンエステラーゼ阻害によるコリン作動性シグナル伝達の途断によって、ADHD が発症するのではないか?とかADHDに着目した仮説などがとなえられました。
より低いレベルでの曝露によって、神経発達の上でのリスクが、ADHDリスクが高まるのかどうか。それを検討する、というのが、この研究の趣旨です。
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