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自閉者特有の特性が今世界では必要とされているという節については、何もテンプルさんばかりではなくおそらく世界中の人が同意される処でしょう。(自閉者特有の特性「だけ」でなく、まさしくこの世に存在しているすべての人間の特性はまさしく必要であり貴重です、「いらない特性」などこの世に存在しません)もしこの点について異議申し立てる人が仮にあったとしても、それは取るにたらないものです。
生物進化の観点からしても、両性の生殖行為による遺伝子混交にる遺伝子多様性の創発(遺伝子のコピーミスや突然変異をも含めた個体差の増長)は、種が不確定な環境変転に対処すべく備えた知恵です。生物の基本となる雌という存在に、雄という余計な存在がいるのは、色んな特性個性をもった個体をこの世にもたらすためなのです。もし、すべての固体に個体差と呼べるものがなく、あたかも鏡に映した様にまったく同じ特性を備えていたなら、たとえ今ある環境にその種は適応出来ていたとしても、環境変化の際にその種は一気に絶滅する恐れがあります。ですから個体差の存在はとても重要なのだと思います。種が保有している個体のバリエーションが多ければ多いほど、その種の環境変化に対する適応性順応性は未来に向かって安定力を確保し続けている事になるのです。
おそらく、今の日本社会が根本からゆきづまっている原因のひとつに、個体差(個性)をみとめない風潮がある様に思います(出るくいは打たれる)。つまり、教育は教育で個々の個性の自ずかなる自然な発展を促進する代わりに、あたかも生徒を同じ制服の型の中に押し込める様に同じ型の中に押し込め矯正し、その一つの尺度でもってすべてを評価する。確かに「みんな同じ特性」ならば、その特性が既存の環境に上手く調和した場合驚くほど繁栄しますが、そういう一時期の幸福な時代「かつての日本人の世界史の中でも稀にみるおどろくべき大躍進」はもう過ぎたのです。その時の日本と今の日本人が置かれている環境の状況は変わってしまったのです。
「もし、すべての固体に個体差と呼べるものがなく、あたかも鏡に映した様にまったく同じ特性を備えていたなら、たとえ今ある環境にその種は適応出来ていたとしても、環境変化の際にその種は一気に絶滅する恐れがある」ような危険性が高まっているこの目まぐるしく変転を繰り返す世界状況の不確定性の中で、「みんな同じ」という価値観に依然としてこだわり、すがりつこうとする事は、どう考えても自殺行為に他ならないのだと思います。
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