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▼じじさん:
はじめまして。不特定の広汎性発達障害のウォルフルです。
私も、自分に興味のないトピックスが話題に上っているとすっかり退屈してその場から逃げ出してしまいたくなります。会話を楽しみたいのに、興味の対象が狭く限れられているという事は凄くネックになりますね。
ところが、非自閉圏の人にとって、あるトピックスに自分が興味を抱いていないからといって、その事が必ずしも会話を楽しむ上でのネックにはならない様なのです。
なぜなのかというと、人が社会性を発揮するために必要なミラー細胞というものがあって、これを直訳すると鏡細胞という事なのですが、これが非自閉圏の場合活発に働いているからだと、聞いた事があります。たとえばミラー細胞は、誰かが手を挙げると、自分も手を挙げている様に錯覚するといいます。相手の挙動の一部始終を鏡で写し取った様に自分の中で演じているのです。相手が悲しんで泣いていると自分も悲しんでいる様な気分になるし、相手が怒っていると自分も怒っている様な気分になります。相手が楽しんでいると自分も楽しくなります。だから相手の動作や感情が理解できるのです。
ここで最初の問題に戻りますが、なぜ非自閉圏の人が興味のない話題でも楽しく感じられるのかというと、会話をしている周囲の人達が楽しそうにしているので自分もそれに感染して楽しくなり、本来ならば自分にとって興味のない話題でも楽しいものとして感じられてくるからです。逆に、自分にとってとても興味のある話題でも、相手が退屈そうにしていると自分までもがその話題を退屈なもののように感じられてきて、「話題を変えなくては」と思い始めます。「場の空気を読む」といった事は、ここに由来します。
だから自閉圏の人の場合、たとえ周囲の人が楽しそうにお喋りとしていても、それが興味のない話題でない限り、それをなんとしてでも退屈でやりきれないものとして感じてしまうのです。
私が上記の処方箋として実践しているのは、「論理」に興味を持つ、という事です。論理それ自体、主張性や話題性とは関知しません。なぜなら論理は相手の言い分が正しいのか間違っているのか、話に整合性があるのか、それとも話に矛盾点はないのかといった点には答える事は出来ますが、相手が何を話題にしているのか、何を主張したいのかには答える事が出来ません。論理は、相手が牛の事を話していようが、日本社会について話していようが、芸能人の事について話していようがお構いなしであり、まったく関係ありません。ですから論理性についての着眼点と衝動を持てば、どんな話題にも入っていく事が出来ます。ただし、その弱点として、論理的になれば話し方が矢鱈と理屈っぽくなるし、論理は人間の感情や気持ちについてはそもそも答えてはくれないし、なんといっても論理的になれば、それは会話というよりはむしろ議論を持ちかけている様な印象を相手側に与えてしまうので、相手によったら嫌われる可能性があります。でも、相手によっては論理的な話し方の方が好意的な印象をもってくれる場合もあるので、その場合においてのみ、とても役に立ちます。
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