|
▼m.taniさん:
こんにちは。ニュートラルな返信を有難う御座います。
>障害の定義が「ちょっと困ったこと」ならあると思います。
>脳の機能の優劣という点では、定型発達者に対し音声の聞き分けが悪い(騒音の中では相手の言葉が分離出来ない)とかあると聞きますし、私も3人がしゃべると内容がわからない傾向はあります。
m.taniさんの場合は、3人同時でのお話の内容が分からない傾向があると自覚されていると言う事ですが、私の場合は、過去7人の会話を仕事をしながら聞き分けていた事があります(自慢話と解釈されると話がずれてしまうのですが)
>診断のための3つの条件とか言う話ならそもそも診断は要らないというのが私の意見です。診断が下って晴れて「区別」されるようになっても日常がそんなに楽になるわけではないですしね。
私の場合も診断自体には何も意味を見出せませんので未診断のままです。
>違いは明らかにあります。でも、個々人のレベルだと中間に属する人もたくさんいるので、定義を議論してもしょうがないと思います。
個々人のレベルの違いはあるのですよね。私もそのように思いますし、それを私は個性と解釈しています。現時点での私の考えでは、障害自体は存在しない幻と言う事になります。(障害と言う表現もあり診断もされ診断書も書かれますが、ただそれだけの事と言う事です)そしてその診断を使い、雇用されてもされなくても、年金を申請してもしなくても自由ですね。そこには、選んだ道のそれなりの体験をするだけで、良いも悪いも有利も不利も無いですね。
しかし人によっては、その診断に頼りきり、その幻をあたかも実在するかのように思い込み、それを根拠にして「私はASだから仕事が続かない」「障害だから雇ってもらえない」と自己を正当化している人が多いのではないのかなぁとも思えるのです。「お前は確定診断を受けていないのだから我々の気持ちを分からないんだ!」とかね。相手の気持ちが分かるとは、お互いがお互いの気持ちをそれぞれの中で解釈し、それを分かったように思い込んでいるだけで、各々の世界観のなかでの各々の判断でしかないです・・・こう考えると・・例え他人様が私を否定しようとも馬鹿にしようとも「あ〜、あなたには、そのように私の映像が映っているのですね(笑)」となります。その相手の人にとっては「私が馬鹿に見える」と言うのは真実なのでしょうからね。
掲示板を拝見していても、各トラブルの原因を自己以外に向けて主張しているために解決しないのではないのかな?と思えるものが多くあるように思えるのです。言わば、各々の世界観での本当対本当の争いではないのかなと思います。トラブルの大元は「分ける事」であり、その世界に自身が入り込んでしまい無いものをあるとその人が信じ込んだ時に自己の正当性、正義等をそれぞれを主張しだす。。例えば「あなたはASです」と医者に診断されたとしても、それはその個人の存在価値には無関係。起こっている現象は全て中立であり、あなたはASですと言われただけで、良いも悪いもない。良いとか悪いと判断(分ける)のは、各々の世界観です。そして「良い事」と分けた瞬間に同レベルでの「悪い事」も同時に抱え込む事となる。こんな感じでしょうか。
これらは、相互理解と言う事で話はまとまるのですが、相互理解・・・相手に自身を理解してもらう(外に何かを求める)のではなくて、自身が相手を理解する(内に何かを求める)事だと思います。これを徹底できれば、ほとんど全ての問題は解決するのではないだろうか?とも最近は思い始めています(笑)
私も過去色々と考えましたよ。定型の特徴とは?とか、トラブル対処するには?とかね。勿論他スレでm.taniさんが表現して頂いていた対処法なんかも行っていました。書いて頂いた事は、対処法としては十分に役立ちます。ですが問題は解決しきれません。御指摘のように、分岐が分岐を生むからですね。次から次へと問題が問題を生む感じです。私は今、それとは逆の方向を見ています。
議論等は私には出来ませんので、雑談等でお付き合い頂ければ嬉しいです。
|
|