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▼Chiquititaさん:
>高校のときはさすがにいじめに加担する教師はいませんでした。
こんばんは。ちょっと起きてしまって、またパソコンを開けてしまい
ました。私は、あまりいじめられた事はないのですが、中学3年生の
時だけ「毎日が公開裁判」のようになっていたのを思い出しました。
当時の私には、まだいまいち「学校」と、いう所も「クラスメイト」と
いう認識もできたての初心者だったので、奇行と思われる事はあった
かも知れません。ずっと「マキナは勉強はできるけど、変な子」と
いう事で特別に親しい人もいなかったので、自分としては快適でした。
3年生に進級した時に、クラスの感じが変化したのは自分でも解り
ました。「高校受験」というストレスで、殺伐としていたのかも
知れません。当時は、学校内暴力や授業妨害もはじまった頃でしたので
私の事なんかいつものように誰も気にしないだろうと思っていました。
私は暗記さえできれば、学校はけっこう楽しい場所でした。
それが、受験になると、そろってクラスの人たちが髪型も変えていき
弱い先生の教科になると授業妨害などはありましたが、授業参観の時は
大人しいものでした。
私の実家は、家庭崩壊していまして、虐待がひどかったです。私も少し
ぴりぴりしていたかも知れません。両親の考え方が極端でしたので
「大学に女は行くものではない」と、決められていたのと、家庭内の
暴力が怖かったので、私は受験するならアルバイトのできるような
高校で。と、しか思っていませんでした。認識不足の為に「普通科」に
いかないといけないと思っていました。両親に「普通になれ」と言われ
続けたので。
私は成績は良かったのですが、大学に行けないのなら、もう勉強をしても
仕方ないと思ったので、ランクをかなり落とした高校を選びました。
それが担任の先生の逆鱗にもふれたようです。
当時、教育熱心な先生で「金八先生」に、はまっていたらしく「観なさい」
とか、「くさったミカン」の話などをホームルームでしていたのを覚えて
います。不良と呼ばれる生徒が改心していく感じが喜びだったのだと
思います。それで、「班ノート」と、呼ばれるノートに順番で日記を
つけないといけなかったようです。私には、その意図は理解できません
でした。他の子は「どれだけ勉強したか?」や「母親に八つ当たりした
反省している」と、いう文章を書いていました。私には、残念ながら何も
書く事がなかったのです。はじめは、読んだ本の事など書いていましたが
先生は、私の日記にはコメントをつけてくれませんでした。
同じ班の男の子で、アニメの会話で気の合う子がいました。彼は学級委員
もしていて、担任のお気に入りでした。担任が女性だからかな?と、今は
思っています。その子が、「息抜きに」と、班ノートに漫画を描いた事が
あり、担任が「上手ですね」と、コメントをつけたので、私はてっきり
「絵でもいいんだ」と、思い込み、絵を描きました。が、次の日に
ホームルームで、担任の先生がこういいました。
「受験だというのに、進学する高校のランクも落として、漫画描いている
生徒がいます。こういうのを腐ったミカンというのです。皆は負けず
に、精進して勉強してください。」と、いいました。
誰が描いたか?なんてのは、すぐに解る事です。結果として毎日のように
ホームルームで、当時の私の奇行(?)や、私は教室での音声がうまく
ききとれなかったので自分で学習していました。なので、暇でよく
授業中に絵を描いたり、睡眠障碍から眠り込んだりしていましたので。
もちろん、運動神経は最悪です。
毎日ホームルームで、裁判みたいな事がありました。
「体育の時間にマキナさんが、列を乱していました。
迷惑なので止めて下さい」
「授業中なのに、マキナさんが、絵を描いていました。
勉強の邪魔になるので止めて下さい」
「またマキナさんが居眠りをしていました。迷惑です」
「移動教室でマキナさんが遅れてきました。授業の
開始時間がムダになるので、やめてください」
裁判と化した教室での裁判官は、担任の先生です。そして私の意見はなく
(音声表現が苦手だったのと、その時に言われていた事も半分以上
ききとれず、覚えてなかったので答えられませんでしたので、無言)
やがて、私は担任の意図のごとく「くさったミカン」として有名になり
ました。小学校の時にある程度仲の良かった人たちに囲まれて、
「ちょっとさー。勉強ができるからって、いい気になってんじゃないの?」
「もう、無視するからね。あんたといたら、腐るって先生が言うし。」
と、いう感じで、罵声を浴びせられました。
無視は、平気でした。自閉症の強みですね。でも、囲まれて噂化している
文句を言葉で投げ付けられるのは、苦痛でした。ホームルームでも毎日
ひとりだけ起立させられていました。感覚統合の悪い私にとっては
辛かったです。
卒業式を迎えると、クラスの人は「憑き物」が、とれたように温厚になり
ました。卒業式の時に担任が「皆、よく頑張ったね」と、ひとりひとりに
まるで学園ドラマのように握手をしていきました。
私は、握手も、その担任も嫌いでしたので、手をはらいのけました。
まー。今、考えると、私にも奇行みたいなのが、あったのだと思います。
でも、ASの子供たちも、似たような目に遭っているのではないかな?と
考える時があります。幸い、協調性の時代は終わりましたが、先生になる
人は、自分に酔わずに、子供たちの様子をよく観察して欲しいなぁと
思います。
長文すみませんでした。
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