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「この人の言い方は嫌味が多すぎる」とか、
「この人の行動はいじめだ」とか、
悪意、または善意に対して、自分ひとりだけが浮いてしまうという状態に、よく陥ります。本当に、まるで自分が宇宙からやってきたばかりの生き物のような気分になります。
善意の例。
小学校のとき、道徳の時間があって、「A子さんを大会に出すためにわざと転んだB子さんについて、あなたはどう思いますか?」という先生の質問に対して、
「B子さんはA子さんのためを思ってやったのだから、悪くないと思います」と言ったら、周囲から
「どういう意味?」
「わけわかんねーよ」
と全員から非難を受けたことがありました。
「わけわかんねーよ」と言われるほどわけのわからないことを言ったつもりがひとつもないのに、自分ひとりだけが教室にポツンと孤立して、まわり全員がまったく違う脳を持っていて、私は宇宙人なのかな…とまで思うくらい、不思議でした。
逆に、悪意の例。
これといって悪いところもないけど可愛くて前向きでなんとなく妬まれそうなキャラのCさんが仕事が休みの日に、DさんがこれでもかというくらいにCさんの悪口を言い、実は日頃からこそこそやっているという嫌がらせ行為についても笑いながら暴露していました。
別の店員Eさんと無難な会話をしていたのに、突然割り込んでそのような「悪意たっぷり」の話をしまくるDさんを不快に感じ、関わられないようにほぼ無視を決め込みました。
すると、Eさんは「どうしてそんなひどいことをするの?」と私に対して非難をしました。
また、美術部だった頃、コンクールで入賞した部員の絵をパクったり、その人の絵をモチーフにして下品な絵に描き換える(パラレル…?みたいな言葉の…何でしたっけ…)ということをしていた生徒に、「そういうことしちゃダメだよ」と言ったら、部員たちに「そんなひどい言い方しなくてもいいじゃない?」と言われたり。
基本的に、私が「あの人のしたことはひどい、いじめだ」と思ったり、「ひどい言われ方をした」と感じたとき、人は私ではなく相手を支持します。
この話で伝わったかどうかわからないのですが…(^^;
私が「この人は良い人だ、良い行為をした」等と思うとき、周りはそれを「悪」と感じている、
逆に私が「この人はひどい、悪い人だ、悪いことをした」と思うとき、周囲は「善」と感じている。
という、とても感覚が孤立した気分になり、多数決でいつも少数派にされ、結果的に攻撃を浴びる側になってしまうのです。
これはASだから感覚が人と違うのであって、世間の常識的には私以外の人の判断が正しいのでしょうか。こういう状況になる人ってASには多いんでしょうか。
今も「なんで私が責められる側なの…?」という状況に立たされています…。
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