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▼Chiquititaさん:
>今は教育の現場でも結果を優先する風潮が強まってきているように見受けられるので、かえって「点取り虫」には有利な状況かもしれません。
私は逆に、今のほうが、高学力のASの子には不利な状況にあると思います。
今は「新学力観」とやらが反映された評価方法になっているように見受けられます。ペーパーテストの点数だけではなく「関心・意欲・態度」も高く評価するということが建前となっている、方法です。
それだけではありません。公立高校の入試では、昔よりも内申書が重視されている都道府県が多いです(和田秀樹氏の著書に出ていました)。面接や推薦入学を採用する学校も、今のほうがずっと多いです。ASの子にとっては「心の内側まで監視される」という面があると思います。
中学時代の私は、実技教科は全部ビリでした。それでも県内の公立進学校に進めました。しかし今では、そのことを話しても信じてもらえません。「実技教科1つでもビリだったら、公立進学校に受かるはずがない。」と返ってきます。「他の教科の出来がよすぎることを、自慢しているのだろう。」と誤解されてしまいます。
今の評価方法では、普段の授業中の態度や授業中の小テストなども、細かい評価の対象になります。例えば。私の住んでいる県では、「ノート提出をさせて点数化する」ということがなされています。「授業と同時進行できれいなノートを作ることに、難儀する子供」にとっては、不利です。採点基準は、「本人にとって勉強しやすいノートとなったかどうか」ではなく、「見た目が小奇麗かどうか」と思われます(友人の証言によると)。
また、「関心・意欲」に該当するか否かは、担当教師の主観に左右されます。
次のようなことを、友人から聞きました。友人の息子さんは、野球が好きです。地理の授業で、デトロイトという地名が出てきました。そこで息子さんは、白地図のデトロイトの位置に、デトロイト・タイガースという野球チームのマークを書きました。
これを見て担当教師は、「勉強と遊びの区別が付いていない」とコメントしたそうです。私が担当教師なら、「勉強内容と他の事柄とを結びつけるという発想は、すばらしい。」と思うのですが。
授業内容も、高学力のASの子には合わないものになっていると思います。これについては、No.3049で書きました。
「活発な子供だと思われないと内申点が低くなる。だから、運動部に入る。」「友達の数が少ないと、内申点が低くなる。」「部長になるとか大会でよい成績をとるとかしないと、推薦入学には不利になる。それらの実力がない子は、ボランティア活動をして点数を稼ぐしかない。」
これらのことを、姉とその息子が何の疑問も持っていないかのように(と私は思いました)話します。
もしも私が平成生まれだったら、つぶれていたと思います。
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