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うーん、真逆の立場だったのですね…。
でも兄弟との関係はやっぱり似てますね。
周りから比べられるから、そのつもりはなくても、潜在的に競争心があるのですよね、きっと。
>健常の弟から「姉ちゃんは世渡り下手だよね。」と言われて
>「どうすればいいのか分からないから困ってんだよ〜」と言ったことあります・・
「できる」側から見れば、「できない」のが本当に不思議なんでしょうね。
こちらが「なんでそんなにあちこちに気を配って、人の話も一瞬で理解して、物にぶつからないで歩けるの?なんで手を振りながら改札を通っても、切符が手から消えないの!?(私の切符をなくす率は半端じゃないです…)」と驚愕しているのと一緒で。
>私の場合は精神異常だと思われてました;
>「当たり前のことをできない方がおかしい。あなたは病気なのよ」と。
>診断前は精神病扱いで診断後は「触れてはいけない実家の汚点」に見えるようです w
>それでもアスペのしぶとさから何年も理解して欲しい要求をしました。
>今の親の理解はしぶとい拘りの成果です。
私も5年ほど、両親とは戦闘状態でした。今では、なんとか母に理解を得ている状態です。「お母さんにはこういうところがある、私にもこんな傾向がある。だから、これを直していかないと、破滅するしかないんだ。共倒れなんだ」といくら訴えても、自分の本来の性質から目を背けるばかり。私の欠点についても一向に認めようとせず…
5年かかってようやっと、母自身、「だからああだったのか、こうだったのか」と気付きが出てきているようです。
精神病扱いというのは辛いですね。
子供のころからそんな目で見られては、「そうか、私はおかしいのか」と思い込んでしまうのでは…そのせいで、失ったものもたくさんあったのではないでしょうか。チャンスとか将来への正しい展望とか。
>息子は不思議そうな顔して聞きます。
>「ママとお祖母ちゃんは仲が悪いの?」って。
>私は「お祖母ちゃんなりにママを心配してキツイ言い方をしちゃうんだよ。
>大人になるとね〜好きとか言われなくても相手の好きな気持ちが分かることもあるんだからね」と言ってます。
なるほど〜…私、この年になっても、この辺、よく理解してないようです…(-"-)
>これ当事者以外は気づきづらいことかもしれません。
>親は脱力中の私へ「この程度のことはできないと母親じゃない」と言います。
>ケンカする気力もないときは「そういう体質なんだから仕方ないじゃん。」と言うと
>親子ケンカの宣戦布告になるので「今は育児疲れで頭が回らないからフォローをお願いさせて。」と言ってます。
平行線なのですね。
逃げ場がないと、ほんとにきついですよね。
>動物へ思いやる気持ちは対人にも活かせますよ。
>私は気が効かないため動物を飼うのは不安なんです。
>猫大好きだけど,猫は自由が好きなので猫の生育環境を考慮し始めると
>日常,できたことが脱力感でできなくなる恐怖があります。
>でも能力以上のことをするとストレス以外の感覚も湧きますよね。
>猫が嬉しそうに転がってるとがんばって良かったと嬉しくなりませんか?
>
みかん大のちっちゃい頭が、枕にちょこんと乗っかって「すぴー、すぴー」と寝息を立てているのを見るだけで、疲れも怒りも不安も吹っ飛びます。
動物を飼うのは、人間側の犠牲がかなり必要ですもんね…
子供を持って、動物も飼って、の両立は、当事者ではかなり厳しいかな、というのが、現時点での私の結論です。
それに、やっぱり苦しくなりますよ。自分がこんなだから、いつか不幸な目に合わせてしまうかもしれない。「出会わなかったらどんなに楽だったか」と思うことがあります。家よりもずっと暖かい家庭で、ずっと幸せにしてくれる人が見つかったら、迷わず手放してしまうような気がします。
「おまえら、なんで私なんかに拾われるんだよ〜もっと人選べよ〜」と、話しかけてます。猫に(ーー;)
>>その点、猫は、私の「丸め込み」を許しません。嫌だと感じると逃げるし、
>>寝込んでいる時でも、「おなかすいた」とか「トイレが汚い」とかうるさいし(笑)
>
>そこは人間の子供と同じです。
>赤ちゃんはオムツが汚れた,お腹空いた,と鳴き声でしか表現できないんです。
>甘えたいときでも泣くことでしか表現できません。
>
>泣いてる子供の顔を見ると「この世の終わり」かと思わせるような表情をしています。
>空気読めなくても「これは放っておけない。なんとかしなきゃ」と思うんですよ。
>そこは共通点だと思いますよ。
ああ、文章が下手くそですみません。
「自分の思うようにならない」という点では、人間の子供も猫も、共通してるようですが、
>気に入らないときは気に入らないと告げる違いがあるかもしれません(^_^;)
これ、私はできなかったんです…
心では、拒否している。頭のずっと奥のほうで、「もう嫌。助けて」と叫んでいる自分がいる。でも、無意識に出てくる言葉は、「うん、大丈夫」
家事に、仕事に、育児に、奔走して疲れ切っている母。自分の選んだはずの人生に、どこか納得していない母。そんな母を見るたびに、「私のせいかな?」という
罪悪感がありました。「私がなんとかしてあげなければ」という分不相応な使命感に縛られていました。
だから、不満を表に出す資格が自分にはないと、無意識に思い込んでいました。
人間は言葉を持つ分、本心を隠すことが容易にできます。
なんでも伝え合えるようでいて、かえって肝心な部分が全く伝わらないまま、誤解が誤解を生んで、最悪の場合精神を病んでしまうこともある。
発達障害の人で、解離を起こしてしまう人が少なくないと聞きますが、私はよくわかるような気がします。
「本音と建て前」も、動物にはない。
そこに私は救われます。
「こいつ嫌い」と感じたら、全身で拒絶してくれるし、表情を取り繕うこともなく、あからさまに「ウザイ」という顔をする。
非常にわかりやすいです。こちらは、「あ、嫌なのね。はいはい」と、距離を置くことができる。
人間社会の中で、一人ではどうしても身につかなかった「引く姿勢」を、私は猫を通してようやく学ぶことができた(?)ようです…(笑)
猫って、「未成熟の人間」ではなく、「同種の仲間」でもなく、あくまで「異種」の生き物ですね。
人間の子供と同じで、世話をする必要はあるけれど、猫は猫として、すでに完成している。私がふらふら近づいていくと、「危ない奴が来た!」としなやかに体を翻して逃げてゆきます(T▽T)(誤って蹴とばしたこと多数…)
これで、人間の子供が足元にいたら、本当に危険です…;
>
>>人間を一人育てるなんて、私には荷が重すぎて、どれだけ大変なことなのか、想像がつきません。
>>でも、本当に守りたいものがあると、発達障害を抱えていても、過集中を最大限利用して、なんとかできるのではないかと、感じることがあるのです。
>>「何が何でも守って見せる」と死にもの狂いになれるのが、発達障害の強みなのではないかと…
>
>はい,私が使ってるのはそういう能力です。拘りや過集中は持ってる人が多い機能です。拘りを満足させるための労力を厭う当事者は少ない気がします。
>なぜなら自分がしなきゃ気が済まないことだからです。
>
「過集中」とか、「死にもの狂いで成し遂げる」って、マイナス面もありますけど(普通の人が1の労力で済むところを10必要なわけですから)、ある意味幸せなことではないでしょうか。
よく、「暇〜」と言っている人を見ると、考えます。「暇って…どういうこと?どういう感覚だったっけ…?(遠い目)」
「退屈」な状態がない、ということは、ある意味プラスといえるのでははないでしょうか。
あ、サーシャさんが「拘り」と仰っているのは、そういう意味からだったのでしょうか…?
>私は子供が生まれちゃいけなかった,というコンプレックスを持つのが
>とても不安です。「自分は要らない人間」という子供の頃に感じたコンプレックスを
>息子に味あわせたくないんです。
自分の辛い境遇から、自分がされて嫌だったから、この子には絶対、というのは、発達障害のある人であっても、学習が可能ですよね。
「負の連鎖を断ち切ろう」という意識は、案外、定型の人よりも強いのではないでしょうか…
ただ、自覚が不可欠ですよね。「自分はこういう傾向があるんだ。普通よりリスクがたくさんあるんだ」と。
>
>どうすれば・・?
>恥ずかしいけど息子へ海外の習慣みたいな「大好きだよ」を連呼してます;
>ネットなら書けるけど「あなたに喜んで貰いたいたいと思ってる」とか。
>
嬉しいと思います。私の母は、「大事だよ」と連呼してくれていたので、「どうやら、私は両親にとって必要なようだ」と幼少期は認識していました。
参考になるかどうかわからないのですが、一つ付け加えるとしたら…
子供は、親が幸せな顔をしているのが一番安心すると思います。
たとえ、「しょうがないなあ…」と呆れることがあっても、親が何かを心から楽しんでいる姿を見れば、安心して自分の人生に向き合えます。
「これが、私が自分で選んだ生き方だ。だから、私はこの人生に納得している」という姿勢を、私は、両親には示してほしかったです。
>適切な距離感は当事者の私は考えるところが大きんです。
>どこからどこまでの距離感なら適切なのか
>私は必死で検索しました。
>
>どこまで関われば放任にならず,過干渉にならないのか
>その範囲が知りたかったんです。
>
私は過去に、猫のほかに犬、鳥、野ウサギetc.(田舎育ちなもので)さまざまな動物と過ごしてきました。たくさんの動物が、目の前からいなくなってゆきました。
その過程で、なんとな〜く学んだような気がするのは、「この子達は、神様からの預かりものなんだ」ということです。
人間の子供は、「授かりもの」と言いますけど、
「預かりもの」は、いつか、必ず自分が天に返してあげなければなりません。
どちらにしても、自分が引き受けた命に責任を持ち、幸せにしてあげるには、その命を心から「尊重」するしかないですよね…どこまでがエゴで、どこまでが相手のためなのか…
子供であろうと、動物であろうと、他人であろうと、難しいんですね…
>今でも私は健常が普通,と定める範囲が解りづらいです。
>健常が普通と思う範囲は個人差があるので
>今も自覚できてないけど犯罪や事件,事故にならない範囲はマシです。
>
>過集中が途切れようと帰宅時間は常に気をつけなきゃいけない。
>偏食や偏った食習慣だと健康上は良くないので
>栄養バランスは気をつけきゃいけない。
>衛生面に気をつけなきゃ子供が病気になる原因になる・・
>
>こういうのが脱力中もあるんです。
>できる、できないの不安や恐怖は薄くなりました。
>
>悩む気持ちの余裕が無いんです;
>子供に何かあったら困るから脱力中でも
>しなきゃならないの感覚だけは残ってます。
>
ああもう、母の過去の心境を聞いているようです(^_^;)
そうだったんだろうなぁ…
「悩む余裕がない」まさにそうだったんだろうと思います。
いっぱいいっぱいだったのだと思います。
でも交通事故やケガは勘弁してほしかった…(-_-;)
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